魚のうちで醜悪なかたちをしているものや、毒のあるものに、旨いものが多い。
フグの毒はいうまでもないが、腹をふくらませるかたちはグロテスクだが、愛嬌《あいきよう》もある。オコゼの形態はグロテスクで、背鰭《せびれ》に毒があるがこのほうは刺されても死にはしない。
アンコウは毒はないが、甚だ醜悪な恰好をしている。この鍋《なべ》料理の老舗《しにせ》に、近藤啓太郎と出かけた。下足番からして無愛想を通り越して、恐ろしいような爺がいた。
女中は鬼のようで、入れこみの座敷の卓の前で待っていても、長いあいだ註文を取りにこない。ようやく料理を持ってきてもらえるようになったが、坐っている私たちのところへくると立ったまま鍋や皿を台の上に放り出すように置いてゆく。
当時私たちは三十半ばの年齢で、腹も立ったが、怒っても仕方がないという結論に達した。それよりも、なんとかあの女中を笑わせてみようじゃないか、と相談した。
「姐《ねえ》さん、お替り」
と、幾皿もお替りをして、じわじわと手なずけ、最後にどんな冗談を言ったか忘れたが、ついにその女中の岩のような顔がほころんで、ニタリと笑った。コンケイと私は、満足して帰ってきたが、アンコウの味のほうはよく分からなかった。
二十歳ごろから、私はめったなことでは腹の立たない人間になってしまい、このごろではわざと怒ったフリをしてみせることがある。
これを老人趣味が出てきたという人もいるが、はたしてそうであろうか。
先日、約束の時刻の三十分ほど前に、銀座についた。時間つぶしにあるデパートに行き、ブラウンのガスライターのボンベを買おうとした。ライターは、そのデパートで買ったものである。女店員に声をかけると、そのまま向うへ行ったきり戻ってこない。もう一人の女店員にあらためて用件を頼むと、
「ありません」
と、素気なく言う。
そこで怒ってみることにした。その女の近くにいる男子店員に、
「君、いかんじゃないか」
と、語気を強めて、言ってみた。相手が黙っているので、
「側《がわ》だけ売っておいて、ボンベがないとは何事だ。そういうときは、いま切らしていますが、近く入ります、とか返事しろ」
つづいて、ある楽器店に行く。
ここでは先日「志ん生大全集」を買った。十一枚レコードの入っているケースなので、なかなか重たい。そのとき、店員が一枚々々レコードのキズをたしかめているので、私はほかのレコードを探していた。家にもって帰ると、「三枚起請」の分が一枚足りない。
そのことを言いに行くと、
「たいへん恐れ入りますが、そのケースを持ってきてみてください」
その店員は感じのよい男で、つまり頭の動かし方が足らないためと分かった。
しかし、怒ってみるのだ。
「なんてえことをいうのだ。あんな重いものをまた持ってこられるか。だいたい持ってきたって、意味ないじゃないか」
怒ってみるもので、素直にほかのケースから一枚抜いて、それをくれた。
もっとも、そのレコードは、その日のうちにどこかへ置き忘れてしまった。