[書き下し文]子曰く、朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり。
[口語訳]先生が言われた。『朝に真実の道を聞くことができたら、夕方に死んでも構わない。』
[解説]孔子が生きた春秋時代の末期は、いつ不意に死の瞬間が訪れるか分からない緊迫した時代であったが、「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」の部分には二通りの解釈をすることが可能である。一つは一般的に理解されているように、朝に「真実(真理)の道」を聞くことが出来たら、夕暮れに死んでも良いとするもの。もう一つは、朝に孔子が理想とした君子による徳治政治が実現していたら、夕方に死んでも構わないとするものである。 思弁的要素の多い朱子学では、孔子の「真理探究の姿勢」が前面に押し出されているが、おそらく元々の孔子の発言の裏には「理想社会の実現」というものが悲観的に含意されていたと思われる。「悲観的に」というのは、孔子自身の意見が多くの国で無視されたように、儒教の説く君子による徳治というものが実現する見通しが当時でも全く立たなかったからである。