[書き下し文]子路、聞くこと有りて、未だこれを行うこと能わざれば、唯(ただ)、聞く有らんことを恐る。
[口語訳]子路は、先生から何か(教訓)を聞いてそれをまだ行えないうちは、更に何かを聞くことをひたすら恐れた。
[解説]儒教では「正しい道(やり方)」を言葉で考えるよりも実際に実践しているか否かが重視されるので、子路は先生(孔子)から「このようにするのが良い」と教えられた時に、それを実際に実践できないことを強く恥じた。以前、先生から教えられた仁の徳を実践できていないのに、更に先生から新しい道(教訓)について教えられてもそれを実際の行動に移せないのではないかと恐れたのである。理論よりも実践を優先し、弁論よりも行動で正しさを証明するというのが儒教の基本的なあり方である。