[書き下し文]子貢問うて曰く、孔文子、何を以てこれを文と謂うか(いうか)。子曰く、敏にして学を好み、下問(かもん)を恥じず、是(ここ)を以てこれを文と謂うなり。
[口語訳]子貢がお尋ねして言った。『孔文子は、何故、文という諡(おくりな)をされたのでしょうか?』先生は言われた。『孔文子は、頭の回転が良くて学問を好み、目下の者に問うことを恥じなかった。だから、彼は文と諡されたのだよ。』
[解説]孔文子は衛の名門の出身で、姓を孔、名を圉(ぎょ)というが、諡として最高の価値を持つ「文」という諡を与えられていた。子貢は孔子に、「なぜ孔文子のような人徳(態度)に問題のある大夫(貴族)が、名誉ある「文」の諡を与えられたのか」と問いかけた。孔子は、即座に孔文子の美点である「頭脳明晰」と「向学心(学問への趣味)」を取り上げて、「文」の諡の理由を説明し、生前の孔文子の醜聞や悪評には一切触れなかった。 既にこの世を去った死者の悪口を言ったり、価値を貶めたりすることを孔子は好まず、敢えて数少ない「美点・長所」に目を向けて称賛したのである。孔文子の悪評とは、衛の君主である霊公の娘と結婚したのをいいことに、衛の国政を恣意的に専横して支配していたことであり、孔文子の生前には孔子も彼を余り快く思っていなかったのである。そのことを知っていた子貢は、「なぜ、君臣の義を踏み外した孔文子が「文」などという立派な諡を送られたのか?」という不満があったのかもしれない。しかし、孔子は子貢の不満に同意して一緒になって悪口を言うことを好まず、「孔文子にも評価されるべき良い面があったのだよ」と語ったのである。