[書き下し文]南宮活(なんきゅうかつ)、孔子に問いて曰く、ゲイは射を善くし、ゴウは舟を盪かす(うごかす)。倶(とも)に、その死を得ず。禹(う)と稷(しょく)とは躬ら(みずから)稼(か)して天下を有つ(たもつ)と。夫子(ふうし)答えず。南宮活出ず。子曰く、君子なるかな、若き(かくのごとき)人、徳を尚べる(たっとべる)かな、若き人。
[口語訳]南宮活が孔子に質問をした。『ゲイの君は弓術に優れており、ゴウの君は船を動かすほどの怪力でしたが、二人とも不運な死を遂げてしまいました。禹と稷の君は、自分自身で田畑を耕作して天下を統一しました。(なぜ、優れた能力・武力のない君主が天下統一の大事業を果たせたのでしょうか?)』。先生はお答えにならない。南宮活は退室した。先生がおっしゃった。『君子であるな、あのような人は。徳を尊重する人だな、あの人は。』。
[解説]南宮活は、(多分に伝説的ではあるが)歴史的事例を引いて『武力に優れた君主(ゲイ・ゴウ)』ではなく『人徳に優れた君主(禹・稷)』が中国の統一に成功したことを孔子に示している。ゲイとゴウは群衆を圧倒する武力によって『夏』の王朝を転覆させようとしたが、ゲイはゴウに殺されゴウもまた夏王の少康(しょうこう)に討伐されてしまった。夏王朝の祖であり伝説の聖王(氾濫する黄河の治水を行った聖王)である『禹』と、周王朝の祖であり農業技術を伝えたとされる『稷(后稷)』の人徳の高さを暗黙裡に示した部分でもある。