[書き下し文]子路、石門(せきもん)に宿る、晨門(しんもん)曰く、奚れ(いずれ)自り(より)するか。子路曰く、孔氏自りせり。曰く、これその不可なることを知りて、而もこれを為さんとする者か。
[口語訳]子路が石門に宿泊したときに、門番が言った。『どちらから来ましたか。』。子路は答えた。『孔氏の家から来たのだ。』。門番が言った。『孔子というのは、それ(理想)が不可能であることを知りながらも、そのために行動している人のことですか。』。
[解説]子路が宿泊先で言葉を交わした門番は、儒教(孔子)の現世的な努力に虚しさや無意味を感じており、儒教と対極にある老荘(道家)の思想的影響を受けた人物のようである。門番は、徳治主義によって天下泰平を実現しようと理想に燃える孔子のことを、『それが不可能であると知りながらも、その実現に奔走する者』と評価しているが、これは人間世界のあらゆる理念的な努力に当てはまる批評とも言えるだろう。しかし、人間は不可能な夢や理想を描きながらも、『より善き生と社会の実現』に向けて懸命に努力せずにはいられない志向性を備えているのである。