ある年、快庵は美濃国で一夏を過ごし、
秋は奥州で越そうということで歩いておりました。
そのとちゅう、下野の国富田という村にさしかかります。
すると、
ひっ、鬼だ!
鬼だー!助けてくれー!
村人が快庵を見て怖がって逃げていきます。
「どうしたんです。いったい、なにごとです」
たずねようとするそばから、鬼だ、鬼だと
村人は快庵を見て逃げていきます。
快庵は村の庄屋の家を訪ね、わけをたずねます。
「旅のお坊様を鬼と間違えるなんて、
とんだご無礼をいたしました。
実はこの村にはおそろしい話があるのです」
庄屋の話には、
この山の上に寺があり、その寺の住職が
一人の子供を側に置いておりました。
たいそうな可愛い子で、
住職はとても可愛がっていました。
ところがその可愛がっていた子供が、
病で死んでしまいます。
住職は嘆き悲しみます。食事もノドを通りません。
ああ、俺はこれから何を支えに生きていったらいいんだ、
子供の死体を埋葬もせず、そのまま寺仏堂に置き、
毎日話しかけたり食事を食べさせる手振りなんかをしていました。
今日も元気か、ロクなものを食わせられんですまんなあ、
などと言って。
だんだん死体が腐って、ニオイがひどくなってきます。
それでも住職は
毎日話しかけたり食事を食べさせる手振りなんかをしていました。
夏の暑い時期なので死体にはウジがわき、
ブーンブーンと無数のハエがたかります。
それでも住職は
毎日話しかけたり食事を食べさせる手振りなんかをしていました。
そのうちに住職は頭がおかしくなってきました。
ある晩、とうとうガマンできず、
グワッ!!
腐った死体にむしゃぶりつきます。
ウジのわいた皮膚をなめしゃぶり、
脂をちゅうちゅう吸い、肉をむさぼり食いました。
こうして住職は鬼となりました。
夜な夜なふもとの村に下りては
少年を襲って、その肉を食らうようになってしまいました。
「うーん…放ってはおけぬ。私が何とかしてみましょう」
「えっ、お坊様危ないです」
「いやいや、この村に立ち寄ったのも、御仏の導きです」
快庵は一人、山に登っていきます。
朽ち果てた寺の門。
壁も障子も荒れ放題で、
草がぼうぼうにおいしげっています。
「ごめんください」
「はい…どなたでしょうか」
のそのそと、やせ衰えた僧が出てきます。
「私は旅の僧です。奥州に行く途中ですがもう日が暮れそうです。
一夜の宿をお貸しいただけませんか」
「はあ。こんな山奥ですロクなおもてなしも出来ませんが、
今から峠を越すのもキケンですし…まあ、泊まるというなら
勝手に泊まっていってください」
というわけで、快庵は山寺に一夜を過ごすこととなりました。
その夜更け。月の光がこうこうと照らす中を、
ガサガサ、ガサガサ、
住職が起きだします。
「ここにもいない。ここにもいない」
住職はしばらく快庵をさがしまわりますが、
どうしても見つからないとなるとイライラしてきて、
「ええい、クソ坊主どこに隠れた!!」
わめき散らします。
快庵が座禅を組んでいる前を、悪鬼と化した住職の影が
あちらに走りこちらに駆けり、ドタバタドタバタ、
くそッと壁をなぐったり…地団太を踏んだり。
でも住職には、どうしても快庵を見つけることはできないのでした。
そのうちに夜が白々と明けてきます。
住職がふいと見ると、
お堂の真ん中で快庵が何食わぬ顔で座禅を組んでいます。
ガックリとひざを落す住職。
快庵は住職に語りかけます。
「里人から話は聞きました。
もともと御仏におつかえする立場であったあなたが、
人の肉を食らい、鬼の姿に身を落としてしまった…
悲しいことです。私の教えを聞くつもりがありますか?」
「あなたこそ、まことの生き仏です!どうか、
悪鬼に身をやつした私をお救いください!」
すると快庵は頭にかぶっていた青い頭巾を脱ぎ、
住職の頭にそれをかぶせ、
「これからあなたに授ける言葉の意味をお考えなさい。
その言葉の意味がわかった時、あなたは救われます」
江月照らし 松風吹く
永夜清宵 何の所為ぞ
快庵はこう言い残して、山を降りていきました。
それから一年後、
快庵はふたたび村を訪れます。
村人の話では、あれから鬼があらわれることはなくなり、
村は平和になったということでした。
皆が快庵にお礼を言います。
そこで快庵はふたたび山にのぼり寺を訪ねます。
山道も去年同じ道を通ったとも思えないほどの荒れようです。
人の背丈ほども草がぼうぼうにしげっています。
今にも崩れそうな古寺の中に蚊の無くような声で、
江月照らし 松風吹く
永夜清宵 何の所為ぞ
見ると、すっかり骨になった住職の口だけが
小刻みに動き、
江月照らし 松風吹く
永夜清宵 何の所為ぞ
と唱えているのでした。
「喝!」
快庵が杖を振り上げ、住職の頭を叩くと、
パアッと住職の体は消え失せ、バラバラッ、バララッ…
草の上にはただ青頭巾と白い骨のみが残りました。