鐙摺、白石の城を過、笠島の郡(こおり)に入れば、藤中将実方の塚はいづくのほどならんと、人にとへば、「是より遙右に見ゆる山際の里を、みのわ・笠島と云、道祖神の社、かた見の薄、今にあり」と教ゆ。此比(このごろ)の五月雨に道いとあしく、身つかれ侍れば、よそながら眺やりて過るに、蓑輪・笠島も五月雨の折にふれたりと、
笠島はいづこさ月のぬかり道
岩沼に宿る。
現代語訳
鐙摺、白石の城を過ぎて、笠島の宿に入る。
藤中将実方の墓はどのあたりだろうと人に聞くと、「ここから遙か右に見える山際の里を、箕輪・笠島といい、藤中将がその前で下馬しなかったために落馬して命を落としたという道祖神の社や、西行が藤中将について「枯野のすすき形見にぞ見る」と詠んだ薄が今も残っているのです」と教えてくれた。
このところの五月雨で道は大変通りにくく、体も疲れていたので遠くから眺めるだけで立ち去ったが、蓑輪、笠島という地名も五月雨に関係していて面白いと思い、一句詠んだ。
笠島はいづこさ月のぬかり道
(実方中将の墓のあるという笠島はどのあたりだろう。こんな五月雨ふりしきるぬかり道の中では、方向もはっきりしないのだ)
その夜は岩沼に泊まった。