金田一耕助はしかし、べつに失望した様子もなく、
「番頭さん、いまおかみさんにも話したんですが、こんどわれわれがやって来た目的は、
もっとべつのところにあるんです。それについて、ぜひあなたがたにも協力していただき
たいんですが。……」
と、さっきおかみに話したようなことを打ち明けると、番頭とおすみは顔見あわせてい
たが、さて、これといって思いあたるふしはないらしかった。
「何しろほんとにお静かなかたでしたので……わたしどもほとんど口を利きいたこともな
いくらいで。……へえ、十五日も十六日も、どこかへお出掛けだしたが、さて、どこへお
出掛けなはったのか、手前ども一向に。……」
番頭が首をかしげるかたわらから、おすみが口を出して、
「十五日の日は朝出かけやはって、お昼過ぎにかえらはりましたわ。それからお昼御飯を
たべてから、また出掛けて、夕方かえって来やはった。そやさかい、あの日はあんまり遠
いところへいかはったんやないと思いますわ」
「そうやったかいな」
おかみは何か考えながらうなずいている。
「そうだすわ。わたし天銀堂事件のときに調べられたんで、いまでもおぼえてますの。と
ころが十六日の日は、今日は遅くなるかも知れへんさかい、弁当こさえてくれおっしゃっ
て。……」
「ああ、そやそや、それでお結びこしらえたげたな。あの日は何時ごろおかえりやったい
な」
「夕方の五時ごろだしたわ。冬のこったすさかい、もう暗うなってました。何んや知らん
げっそりお窶やつれなさって、まるで生きたそらもないようなお顔色だしたわ。そのまえ
からおかみさんが、自殺でもしやはるんやないやろかと、心配してはりましたさかいに、
わたし、てっきり自殺しそこのうて、帰って来やはったんやと思ったんだっせ」
金田一耕助と出川刑事は、またふっと顔を見あわせる。
一月十六日の外出──椿子爵が何かをつかんだとしたら、おそらくそのときのことにちが
いない。そして、それがかれに自殺を決意させたのかも知れないのだ。
「それで何かね。子爵はどこへいくとも、いったとも云わなかったのかね」
「ええ、そんなことちっとも。……第一、わたし晩御飯のお給仕をしてても、気味が悪う
て悪うて、……ろくに口も利きませんでした。そら、もうえらいお顔だしたわ」
「ああ、ひょっとすると、そら、明あか石しへ行かはったんとちがいまっしゃろか」
番頭の言葉に、出川刑事がふりかえって、
「えっ、どうして?」
「その日やったか、そのまえの日やったか忘れましたが、わたしにひとこと、明石へ行く
には省線がよいか、山陽電鉄がよいかちゅうてお訊たずねにならはりました。それでわた
しが、明石もところによりけりだすが……いいますと、それきり黙っておしまいにならは
りまして。……」
「ねえ、おかみさん、おすみちゃん、いま番頭さんのいったようなことで、そのとき何気
なしに聞き流したような言葉でいいんです。何か思い出すようなことがあったらおっ
しゃってくださいませんか」
一同はだまって顔を見あわせていたが、そのときふっとおかみが、小山のような膝ひざ
をゆすり出して、
「それで、なんだすか。椿さんがあのときこっちゃへ来やはった用件について、あんたが
たには全然、なんの心当たりもおまへんのかいな。ひょっとすると、あのことやないやろ
かいうような、そんな見当もつきまへんの」
そういうおかみの眼の色を、金田一耕助はじっと視みつめながら、
「いや、それについては心当たりがないこともないんです。つまり子爵は自分の一家のこ
とについて、いままで全然知らなかったことを、最近どこからか聞き込んで、それをたし
かめるために、この方面へやって来られたんじゃないかと思うんだが……」
それを聞くとおかみはしきりに、大きな体をもじもじさせながら、袂たもとのはしで額
の汗をこすっていたが、ふっと番頭とおすみのほうをふりかえると、
「あんたら、ちょっと向こうへ行ってておくれやす。用事があったら呼ぶよって。……あ
あ、それからお茶をいれかえて来て……」
金田一耕助と出川刑事は、またふっと目をあわせる。
おかみはなにか知っているのだ。