男は毎日、おいしいエサを作ってやったり、からだを洗ってやったり、熱心にせわをした。ネズミが病気になると、自分のこと以上に心配する。ネズミのほうも、男によくなついていた。晴れた日には庭でなかよく遊び、雨の日には家のなかでかくれんぼなどをする。また、旅行する時もいっしょだった。
しかし、男がネズミとくらしているのは、かわいがるだけが目的ではなかった。男はいつも、背中をなでてやりながら、こんなことをつぶやく。
「考えてみると、おまえたちがいなかったら、わたしは何回も災難にあっていただろうな」
ネズミには、近づいてくる危険を、あらかじめ感じとる力があるのではないだろうか。男はこのことに気づき、その利用を思いたったのだ。そして研究は成功し、役に立った。
かつて、ある日、ネズミたちが、とつぜん家から逃げ出したことがあった。わけがわからないながらも、男はそれを追いかけ、連れもどそうとした。
その時、激しい地震がおこった。さいわい外にいたから助かったが、もし家に残っていたら、倒れた建物の下敷きになっていたはずだ。死なないまでも、大けがをしたにちがいない。
また、こんなこともあった。船に乗ろうとした時、連れてきたネズミたちが、カバンのなかでさわぎはじめた。乗るのをやめると、ネズミたちは静かになり、出航した船は、嵐にあって沈んでしまった。
こんなふうに、ネズミのおかげで助かったことは、ほかに何回もあった。それらを思い出しながら、
「なにしろ、事故や災害の多い世の中だ。これからも、おたがいに助けあっていこう」
と男がエサをやっていると、ネズミたちがそわそわしはじめた。いままでに危険が迫った時、いつも示した動作だった。
「ははあ、なにかがおこるのだな。こんどは、なんだろう。火事だろうか、大水だろうか。いずれにせよ、さっそく引っ越すことにしよう」
急ぐとなると、その家を高く売ることはできなかった。また、安い家をゆっくりさがしているひまもなかった。しかし、それぐらいの損はしかたがない。ぐずぐずしていて、災難にあったらことだ。
新しい家に移ると、ネズミたちのようすは、もとにもどった。気分が落ちつくと、男はあわなくてすんだ災難がなんだったかを、知りたくなった。そこで、電話をかけて聞いてみることにした。
「もしもし、わたしは前に、その家に住んでいた者です。ちょっと、お聞きしたいことが……」
「なんでしょうか。なにか忘れ物ですか」
「そうではありません。わたしが越したあと、そちらでなにか、変ったことがあったかどうかを知りたいのです」
「さあ、べつにないようですね」
「そんなはずは、ありませんよ。よく考えてみて下さい」
「そういえば、あれからまもなく、となりの家に住んでいた人もかわりましたよ。そんなことぐらいです」
「そうですか。こんどの人は、どんなかたですか。きっと、ぶっそうな人でしょうね」
と男は熱心に聞いた。災難は、となりにやってきた人に関連したことだろう。あのまま住んでいたら、いまごろは、やっかいな事件に巻きこまれたにちがいない。だが、相手の答えは、意外だった。
「いいえ、おとなしい人ですよ」
「本当にそうですか」
「たしかです。ネコが大好きで、たくさん飼っているような人ですから」
たくさんのネコ。人間にはべつになんでもない。しかし、ネズミたちにとっては、ただごとではなかったのだ。