それは、人通りの多い道ばたで、銀貨の落ちているのを見つけた時の気分によく似ている。
一瞬、はっと足をとめる。つぎには、見まちがいではないかと、まばたきをしてみる。そして、銀貨にまちがいないと知って、胸が激しく波を打ちはじめるのだ。
しかし、心のなかの理性は、それに伸びようとする手を、強く押しとどめてしまう。
拾ったりせずに、そのまま歩きつづけたほうがいい。ものかげからだれかが、ひとの悪い目つきで、のぞいているかもしれないではないか。
また、そうでなくても、思いきって、身をかがめて拾おうとしたとたん、ちょうど通りがかった人も、同じように身をかがめ、はちあわせをした時の気まずい状態を、考えてもごらんなさい。
すべての血は逆流して頭に集まり、わけのわからない言葉を口のなかでつぶやきながら、足早やに、その場をはなれなければならなくなる。
しかも、それだけではすまない。そのことを思い出すたびに、何日も何日も、ひや汗を流し、ひとりで恥ずかしい思いに、ひたらなければならないのだ。
こんなことになるくらいなら、銀貨がどんなに気になったとしても、拾おうなどと考えないほうが、よっぽどいい。あなただって、そうではないだろうか。
あ、もっといい形容を思いついた。食べ物についてのことは、やはり食べ物を例にとったほうが、どうも、ぴったりするようだ。
友だちどうし大ぜい集まって、机をとりかこんで楽しく語りあっている時のことを、ちょっと想像していただきたい。その机の上には、たくさんのお菓子が盛られた皿がある。みなは時どき、それを口に入れながら、談笑をつづけてゆく。
だが、そのうち、さっきから、私が形容に苦心している気分のみなぎる時がやってくる。皿の上のお菓子の数がしだいにへり、最後のひとつとなった時だ。だれ一人として、それには手を伸ばそうとしなくなる。
もちろん、それを手にとり、自分の口に入れてはならないという理由はない。だが、それをやると、
「あいつ、とうとう最後のひとつを、食べやがった。いやしい、図々しいやつだ」
という感情のこもった視線が、集中するかもしれないのだ。だれものこの同じ思いが、皿の上にお菓子をひとつだけ、いつまでも残しておく。
内心ではお菓子のことを気にしながらも、だれもかれも、もうお菓子はたくさんだ、といった表情をよそおって、そしらぬ顔で談笑をつづけてゆく。ちょうど、毒でもはいっているかのように……。
こんな状態のことなのだ、私があなたに知らせたがっているのは……。
いくら私が吸血鬼でも、食べ物のことで、恥ずかしい思いを味わいたくはない……。
あ、吸血鬼という言葉が急にでてきたからといって、そう変な顔つきに、ならないでもらいたい。
もっとも、無理もないかもしれない。吸血鬼、人をおそって血を吸い、吸われた者は、外見は変わらないまま、同じように吸血鬼となってしまうという、伝説上の現象。
私だって、自分が吸血鬼にされるまでは、やはり単なる迷信と思っていた。
だが、自分がなってしまった今では、信じないわけにはいかない。私ばかりか、吸血鬼は、ほかにもたくさんいる。はっきり言ってしまえば、あなたを除いた全部が吸血鬼だ。
まあ、そうあわてて、あたりを見まわしたりする必要はない。あなたの逃げ場は、どこにも残されてはいないが、あなたの安全は保証されているようなものだから、決して心配することはないのだ。だれだって内心では、あなたの新鮮で温かい血を、考えただけでものどの鳴るような血を、吸いたいことに変わりはない。しかし、そんなことをしたら、あとで仲間にどんな目つきで見られるかも、充分に知っている。
だから、そしらぬ表情をいつまでもつづけ、あなたに手をつけるなどということは、おこるわけがないのだ。