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「母を恋うる歌」

时间: 2016-10-18    进入日语论坛
核心提示: <月の沙漠(さばく)をはるばると-> 私達4人姉弟は、声を張り上げてよく歌い合ったものだった。戦後間もない昭和20年か
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 <月の沙漠(さばく)をはるばると->
 私達4人姉弟は、声を張り上げてよく歌い合ったものだった。戦後間もない昭和20年から24年ごろまでのことで、当時は電力事情が悪く、しばしば停電になった。真っ暗な部屋の中では全くなすすべがなかった。
 部屋が真っ暗くなる。弟が「わっ、停電だ」と叫ぶ。それを合図に炬燵(こたつ)にあたっていた4人は、ごろんと横になる。そして闇の中で何をしようか考える。しりとり、なぞなぞか?しかし、幼い妹も加えてできることは決まっている。
 姉が学校で覚えてきた歌を大きな声で歌い始める。すぐの弟の私もそれに合わせて歌う。弟も妹もそれに合わせ、やがて4人の合唱となっていく。1時間、2時間と、それは電灯がつくまで続くのであった。
 「月の沙漠」1曲で終わるはずもなく、それは「赤い靴」「叱(しか)られて」「荒城の月」「朧(おぼろ)月夜」「花」「われは海の子」と続いた。まだ電灯はつかない。歌は「みかんの花咲く丘」や「リンゴの唄」「森の水車」へと続いていく。時には大人の歌だと思いながらも、当時大流行していた「帰り船」や「憧(あこが)れのハワイ航路」「星の流れに」「異国の丘」などを、大きな声で歌ったりもした。
 空襲の恐怖から解放された時代、電力事情のみならず食糧事情も悪く、皆飢えに苦しんでいた時代だったが、世の中全体が明るい希望に満ちていた。学校も新しい制度に変わって、教師も生徒も生き生きとしていた。溌溂(はつらつ)としていた。すべてが輝いていた。
 中学生になった私も、学校での毎日が楽しくてならなかった。朝5時に起き出し、バスケットの練習に駆けて行ったし、合奏の練習で帰りが遅くなったりもした。けれども何かに取り組んでいるという実感がうれしくて、張り切って参加していた。
 そして毎日のように闇の中で繰り広げられる姉弟4人の「合唱」は、張り詰めた気分から解放してくれる安らぎの時間であり、姉弟愛の中に、自分の存在感を実感することができた時間でもあった。
 父は出征し、ビスマルク諸島沖で輸送船とともに海に沈んだ。32歳の若さで逝った。残された母は4人の子供を抱えて必死で働いた。スルメ割り、鯖(さば)の味噌(みそ)煮を作って汽車に乗って行く田舎での行商。夜は呉服屋の着物や帯の縫い仕事。停電の時にはランプの明かりの下で夜遅くまで仕事し、私達の合唱には加われなかった。その寂しさを振り払おうと、私達4人の合唱はいっそう高まった。
 音楽の先生から、市の独唱コンクールに出場するように言われた。小心者の私になぜ?と疑問に思い、戸惑う私に、先生は頓着(とんちゃく)せず「何の曲がいいの?」と聞く。さて何の歌がいいのだろう。私は答えられなかった。
 私は、あの暗闇の中で、炬燵にごろんと横になりながら姉弟4人で繰り広げた合唱の場面の数々をなぞってみた。苦労ずくめの母の思いも考えてみた。そして私は曲目を決めた。それは「里の秋」だった。練習を重ねた。
 そして迎えた独唱コンクール。私は歌った。
 <静かな静かな里の秋 お背戸に木の実の落ちる夜は ああ母さんとただ2人 栗(くり)の実煮てます囲炉裏(いろり)端>
 会場は大きな映画館の広いステージ。客席はたくさんの聴衆で埋まっているが、暗くて顔までは判別できない。それが幸いした。私は落ち着いて思いきり歌うことができた。その時の私の声は、まだ変声期前の、いわゆるボーイソプラノであった。
 <明るい明るい星の夜 鳴き鳴き夜鴨(がも)の渡る夜は ああ父さんのあの笑顔 栗の実食べては思い出す>
 現実は、母と子供4人の家族である。しかし、私は心の中では、母と私の2人だけの寂しげでいて、それでいて心温かな暮らしを思いながら、感情移入して歌った。そして歌い終わった。気が付くと、館内全体に大きな拍手が響き渡っていた。私の体は熱く震えた。腋(わき)の下を冷たい汗が流れていた。
 私は一等賞になった。大きな賞状とともに副賞として、いかにも飢えの時代を象徴するかのような、お米と味噌をいただいた。母は涙を流して喜んでくれた。さっそく父の仏前に供えて報告をすませた。
 <さよならさよなら椰子(やし)の島 お船に揺られて帰られる ああ父さんよご無事でと 今夜も母さんと祈ります>
 その母も72歳で逝ってしまった。突然の死だった。看病することもできなかった。「里の秋」、この歌は、子としての私と、そして親である母との2人だけの、深い思いのこもった歌であり、私の「母を恋うる歌」である。誰もいない時に今でも口ずさんでいる。
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