ある女史が言った。「厄介な生理を踏まえ乗り越えてこその女の自立だ」と。
ある女も言った。「ブルーデイって全く憂鬱、早く終わってくれないかな」。
私はただの一度も厄介だの憂鬱だのと思ったことがない。生理日は私にとって喜びの到来であった。「ありがとう神さま」と合掌せずにはいられない。女がもっとも女である数日をなぜ女性は厄介がるのであるか。
杏咲く自愛極まるわがメンス
わたしから散る散る紅《くれない》の山茶花
清冽《せいれつ》な川がわたしを貫くよ
わたしから散る散る紅《くれない》の山茶花
清冽《せいれつ》な川がわたしを貫くよ
この三句、年代順である。杏の句が四十六歳か七歳か、清冽と言い切れたのが四十九歳である。年齢を記したのは「自愛極まる」を読み取ってほしい作者の欲である。三十代や四十代前半では女はそれを意識しない。昔の人は当然のこととして子を生んだ。有生理の平均年数も現在は変化したのかもしれないが私たちは三十三年間だと聞かされて育った。気が遠くなるほどの女坂をふり仰いだ少女の日が私にもあった。私がメンスという言葉を抵抗もなく句にしたときは、その三十三年を過ぎていたのである。
梅ほどの潔さはなく、桃ほどののどけさも持たぬ杏の花は適当に品よく美しい。白ともピンクともわかたぬ杏の花枝に私はわがいのちの美を託した。
梅ほどの潔さはなく、桃ほどののどけさも持たぬ杏の花は適当に品よく美しい。白ともピンクともわかたぬ杏の花枝に私はわがいのちの美を託した。
菜の花菜の花子供でも産もうかな
と、女であるいのちを軽々と遊ばせていた私が「産み」の限界を強く意識した「自愛」なのであった。そして蜒々《えんえん》と私は女のまま現在に至っている。愛しつづけた女の証しとの訣別の日に私はきっとまた美しい一句を自分に捧げるであろう。
川柳にはふしぎに「からだ」を詠んだものが少ない。これもなぜタブーなのか深くは考えず、私は自在にうたいあげてきた。
川柳にはふしぎに「からだ」を詠んだものが少ない。これもなぜタブーなのか深くは考えず、私は自在にうたいあげてきた。
桃一箇一刀ありてわが乳房
乳房切る揺れるくらげは鏖《みなごろし》
乳房によ津軽じょんがら響くなり
疑いの長い九月の鯖の色
未定の厨しずかに魚の血を流す
乳房切る揺れるくらげは鏖《みなごろし》
乳房によ津軽じょんがら響くなり
疑いの長い九月の鯖の色
未定の厨しずかに魚の血を流す
秋のたんぽぽがぎっしり咲いていた年、私は乳房のシコリを切った。細胞検査の結果待ちの日々、私にはあの津軽三味線だけしか聴こえなかった。
蟹の穴わが身の穴の月夜かな
雪の日の裸身美しかれと脱ぐ
しなやかに鹿になりきる雪の夜は
手鉤無用の柔肌なれば窓閉じよ
身を汚す仰臥一つの愛断ち切る
雪の日の裸身美しかれと脱ぐ
しなやかに鹿になりきる雪の夜は
手鉤無用の柔肌なれば窓閉じよ
身を汚す仰臥一つの愛断ち切る
女は「からだ」を汚すことでしか心の愛を断ち切れない。そのむなしさをなぐさめるために神は、花を降らせ給うのであろうか。