蛍狩りに誘われて素足に下駄をつっかけようとしたところを姉につかまった。姉が十五、私が十三歳の六月であった。
「少しは村の人たちの目を考えなさい」
約束の句会へ行こうとして中学生の娘の運動会見物を姉に頼んで叱られた。
「少しは子供のことを考えなさい」。私が三十も半ばのころのことであった。
九州へ旅行中に入院していた猫が死んで姉から皮肉をあびた。
「せめて死に目に会ってやることは出来なかったのかねえ」。私五十二歳、悲しみに痛みが加わった。言訳が棒になって喉へつかえた。
「自転車の二人乗りはやめなさい」と、お巡りさんではなく姉に注意を受けた。私五十三歳、どっち向いて叱られておればよいのかわからなかった。
「明るいうちに銭湯へ行かないように」
「行っていません」──と私初めて逆らった。
「ではその髪はどこで洗ったの」
「編集室のヤカンの湯で洗いました」
「銭湯で洗ったと正直に言いなさいッ」
「ヤカンの湯で洗いました」
ぐぐぐぐと悔しさがこみあげる。編集室へ駆け上がってコタツ板をかじって泣く。するとブザーの音。
「用があるから下りて来なさい」
「ハイ」──と私。腸がよじれる。頭の中は火の太鼓。逃げて姉を頼って姉の会社の二階を借りている身であれば、説教の二時間や三時間は覚悟せねばならぬ。私はまことに出来の悪い妹であるから感謝するべきなのだ。
姉は人への思いやりの深すぎる人である。正義の味方であり、責任感抜群の人である。頭が切れて仕事が出来て勤勉で、よく気がついて親切が行き届く人である。二十年おなじ髪型で通し、トータルファッション、TPOを考慮し、乱れのない人物である。親を大切にしすぎる人でもある。
これを裏返せばそっくり私の生きざまとなる。そんな妹を一カ月に何日か側に置いている姉は私以上に気の毒な人である。それでも姉は私のことを「妹であると同時に唯一の親友でもあります」とインタビューに答えてくれた。姉は妹のわがままを許し、自由気ままに泳がせていると言うであろう。
「金魚がタライから跳ね出れば水へ戻してやるが、タライの金魚にお節介はしない」と言い切る姉。金魚鉢ではなく大きなタライなのに、私は何度もとび出して泥にまみれた。そこで前記のような説教となるのである。
姉妹も西瓜もまずは真ッぷたつ
ぬけぬけと金魚の墓のいつまで朱
蟹の赤椿の赤の根くらべ
むごいお前と言われテンテンてんまりよ
ぬけぬけと金魚の墓のいつまで朱
蟹の赤椿の赤の根くらべ
むごいお前と言われテンテンてんまりよ