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言葉をください22

时间: 2020-05-15    进入日语论坛
核心提示:大花火小花火私は毎年八月八日に花火の洗礼を受ける。足の蚊を気にしながら浴衣《ゆかた》に団扇《うちわ》姿もよろしかろうが、
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大花火小花火

私は毎年八月八日に花火の洗礼を受ける。足の蚊を気にしながら浴衣《ゆかた》に団扇《うちわ》姿もよろしかろうが、私はその夜、頭から花火を浴びるのである。
私の編集室は恵まれた場所にあって、I市の弁天様の花火を見る一等席である。まだ明るいうちから音が聞こえて私を落ちつかせない。
やがて、夕焼けの去った西空に小さな傘から咲きはじめる。菊、柳、ぼたん、名は知らぬけれど開いて散って、しだれて消えて赤青黄。花火特有の腹にひびく音がだんだん大きくなると、少しおくれる音に騙されて花火を掴み損ねたりもするが、クライマックスのあの連発の饗宴を何にたとえたらよいのか。
花火は襲いかかるものである。赤い舌、赤い目ン玉ひんむいて両手ひろげて人間に襲いかかる。ああ、と思うまもあらばこそ、黄鬼青鬼の波状攻撃。それはもう美しいなどという表現では間に合わない迫力なのである。
電灯を消した西の窓に私は一人、恍惚のおそろしさに翻弄《ほんろう》されるわけである。
音が間遠になって、また小さな傘をひらいてみせて、花火は閉じる。ぐったりと、私も窓を閉じる。花火の夜、私は仕事をしない。しないのではなく疲れて出来ない放心で横たわってしまうのであった。
大花火そして約束忘れきる
花火からわれもわれもと胸を病む
 祭りに行き遇うこともある。三個百円のアメ玉が口ん中で溶け切るまで歩いていると洗い髪もかわいてサラサラ肩をくすぐる。買って戻るのは花火。今は工夫をこらして名をつけて、私には味気ないドカン型が多くなったけれど、線香花火はちゃんとある。ネズミ花火も残っている。川土手でネズミを走らせる夜にたまたま客があったりすると、子供の仲間がふえるのでうれしい。手花火に、ふッとともだちのさみしい顔を見てしまうのもそんな夜である。
花火の群れの幾人が死を考える
 と書いた日の私と花火はうんと遠い距離にあった。それは私にとって、死というものがまだ遠くにあったともいえる。
しかし、生きるということは一日一日を死ぬことでもある、という自覚は若いころからあった。だから今日死ねたのだから明日死ぬことの可能性は軽かった。
それが次第に重くなってきたのはいつのころからであろうか。この世には美しい事、美しい物がいっぱいある。惜命が否応なく心を占めてくる。齢を取るたのしみの中に、どんな小さな美にも心をとめるやさしさが加わってくるのと同じ歩幅で一日が重くなっていくようである。これは死というものが確実に近くなったともいえると思う。
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