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言葉をください23

时间: 2020-05-15    进入日语论坛
核心提示:愛 別 離 苦「どんなことがあろうと親の死に目には会わないことです。見てはいけませんよ。心身共にやられました。それにしても
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愛 別 離 苦

「どんなことがあろうと親の死に目には会わないことです。見てはいけませんよ。心身共にやられました。それにしても、順縁だからあきらめろ、子供の死に目に遇う人もたくさんいるんだから、となぐさめてくれる人がいますがね、世の中でいちばんつらいのは親、特に男にとっては母親ほどつらい別れはないんじゃないですかね。ぼくはこんどつくづくと感じたことがあるんです。それは、親父が取り乱さなかったことと、ぼくの妻や子も意外と冷静だったことです。──人間、とどのつまりは血ですなあ。ぶざまなほど泣いたのは息子だけ。父親ももとをただせば夫婦とはいえ他人ですからね。ぼくの妻にいたっては正直せいせいしたでしょう。それを目のあたりに見て、ぼくは母のためによけいに泣いてやったのかもしれません。見なけりゃよかった。しかし医者のぼくとしては見届けざるを得ませんでしたからね。いやもう、ガンの末期のものすごさ。ハハシンダの電報で帰ってくる弟たちはいいですよ、あの悶絶を見なくてすんだんだから」
知りあいの医師からつくづくと述懐されて私にはなぐさめる言葉もなかった。
私はある意味で、少年期、青年期、壮年期に親を喪った人をしあわせだと思う。子としての自分が齢を加えるにつれて、親との別れは身にこたえるにちがいない。親には一日でも長生きしてもらいたいのが人情だから、私の言い分はぜいたくというものだろう。五十歳を過ぎて両親揃っているなんて「おしあわせですね」とみんながいう。
そうにちがいない。しかし、身勝手ながらつらさは一日一日と濃くなる気がする。子育ての最中ならそのことで気を取り直すこともできよう。また、自分が青春のただ中なればめくるめく愛が忘れさせてもくれよう。だが、身を枯野に置いての親の見送りは身を噛み心をさいなんで、想像するだに怖気づく。
八十六歳の父と七十四歳の母。愚痴の多い母はさておき、この世へのくりごとを何一つ言わぬ父の淡々たる日常を眺めるとき、この人が忽然と居なくなる事に私は耐えられそうもない。
先日その父が高熱を出し呼吸困難におちいったことがある。かかりつけの医者の玄関で坐り込みをやって、やっと連れ出した医師は車の中でこう言った。三回も言ったのだ。
「もういいとしだろう。としに不足はないだろうが」──だからどうだと言うのだ。私は医師を撲りつけたい拳で医師の鞄に爪を立てていた。
父を渇仰して父の子を産めり
ゆきずりの墓から親へ目を移す
父が生きる日数に動く冬の蠅
よろける父 許せぬものに羊の死
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