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言葉をください24

时间: 2020-05-15    进入日语论坛
核心提示:ままごとずんば昭和十一、二年ごろの吉井川(岡山)はまだ自然の中にあった。波よけも天然石が積みあげてあるだけ。その隙間に子
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ままごとずんば

昭和十一、二年ごろの吉井川(岡山)はまだ自然の中にあった。波よけも天然石が積みあげてあるだけ。その隙間に子供たちはすぽんとはまって台所やお座敷作りに余念がなかった。
器はすべて貝がら、大小のはまぐり、あさり。しじみ貝はスプーンになった。お惣菜にも不自由はしなかった。雁木や玉ぶち(コンクリートで作った道と川の境)にはクコの実や夕顔が咲きみだれていたし、ちょっと走ればグミがあり茄子《なす》や胡瓜《きゆうり》の畑があった。
ままごとには「お講」というのがあって、大人の大師講などをまねてお客をするのであった。それがままごとの最大のたのしみで、どんな馳走でもてなそうか、器にガラスの破片なども工夫して涼しげに見せたり、幼い心は弾みに弾んだ。
お講は私の姉から始まってともだちをまわり、私で終わるのが何となくのキマリであった。姉はブリキの包丁とナベ・釜も持っていた。その上になぜか姉の家だけ人形の子供が居るのである。「ああ、いい子いい子」とあやしながら姉は手際よく料理を盛り分けてみんなを招《よ》ぶのであった。
「きれいなお箸」「まあかわいい〇子ちゃん」。客はおせじたらたら。主は得意満面。そうやってともだちの家をまわるお講あそび。
「さあこの次よ」──私の胸はドキドキである。貝がらを洗ってオオバコをきざんでタンポポ寿しを作る。盃を拾ったのでスープを作ろう。みんなどんなにおどろくだろう。
その時である。姉の声がひびきわたる。
「ヤーメタヤメタ、みんな学校ごく(ごっこ)しようエ」
ガラガラと片付ける音の中で、無念のくちびるを噛まなかった日が私にあっただろうか。
学校ごくだって、どうせ私は万年生徒。ピアノと黒板を持って姉が現われる。先生センセイせんせい、いろんな子が先生役をつとめて(受持ち教師のクセが出るのはおもしろかった)、さて「わたしの番」になると「ヤーメタ」となって日が暮れた。
先日、姉が川土手(大阪I市の)で「ずんば」を見つけたと目を輝かせた。芒《すすき》のミニチュアのごとき「ずんば」は春告げ草だが、学名は知らない。ただ「ずんば」という語感だけで私たち姉妹にはパッと吉井川の春が甦えるのである。なつかしのずんば。
姉は今、独身である。私は二人の子に恵まれた。昔のままごとの話の中で、人形のことだけは生涯のタブーである。
いぼ蛙お前はうつくしいのだよ
なわとびへ入っておいで出てお行き
戸袋にもたれて遠いひとごろし
ゆさぶれば杏の木から杏落ち
白桃は一つ置かれてしあわせな
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