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言葉をください28

时间: 2020-05-15    进入日语论坛
核心提示:さなぎの如く私は「業」という言葉と「シャカリキ」という言葉の語感が嫌いである。そういう考え方、生きざまも好きではない。と
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さなぎの如く

私は「業」という言葉と「シャカリキ」という言葉の語感が嫌いである。そういう考え方、生きざまも好きではない。
ところが嫌いなものは寄ってくるもので、私の川柳は一心不乱だと普通の人は言いつづける。私は『新子』『月の子』という二つの川柳集を出し、自分史でもなければ小説でもない生まれて五十年間をまとめたレポートのような『花の結び目』という本を出した。ほかに『川柳展望』と名付けた季刊個人誌を出して八年にもなる。
「本を出すのも道楽か」と時に私は口走るが好きにあそぶところに真は生ずるのだということが、他者には映らない。ひたすらに髪ふり乱してシャカリキになって「女の業」とやらを追う、と評され、そんなふうにしてみせなければ大方のお気に召さないらしいのだ。お気に召さないでも結構だが、たとえばK誌上でKという何をしている人か知らぬ女性が『月の子』読後感として書いている中に「日日の暮しの中から川柳の材料を拾いあげようと眼をこらし」云々とあったのに私は腹が立った。皮相的な見方をされても仕方がない作者サイドにある限りのこの種の言葉は雨あられと降ってくる。Kは鑑賞文のしめくくりとして「──更に好作を期待する」と結んでいるが、大きなお世話。私は愚作にあそぶ道を進む。
そんなところへ盲目の詩人でもあり川柳評論家を自認する藤村青一氏から一巻のテープが届いた。
氏は、新子は川柳家としての要素を一つとして持たず、詩人の欠点をあますところなく持っていると喝破した。素晴らしい洞察力である。
即ち、女性であるにも関わらず新子はロマンチストであり私情的であり個性的である。言葉を変えれば、夢ばかり追って現実には目もくれないで自分勝手にヘソを曲げて生きている、ということだと氏は言ってのけた。自分でも見えなかった真髄に、私はパッと視野が開ける思いであった。川柳家の大方の特質はこの全く逆である。リアリストであり客観的であり普遍的である。
詩人の欠点を持つ私が表現形式として川柳をやっている。このおもしろさに私は満足した。
藤村氏の舌鋒は更に鋭く、「いうなれば文学少女が文学婆になったということだ」と容赦をしない。『花の結び目』で私が書いた“大きな力”も要するに自分(内部)の力があるゆえに他力を感受するのだと。言われてみればもっともで、今日も私は母の胎内に在ったときと同じ姿勢で生きている。私に生命力を自覚させてくれた一巻のテープ。藤村氏は心眼冴えたる人である。
木の幹を抱え不幸を吸いつくす
ああ母乳さなぎの如く眠りたし
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