仕事部屋の夜が明ける。
梅雨の雲間から太陽がのぼってくる。
「おはようお日さま、どうぞよろしく」──電線では鳩の一群が朝餌を待っている。工場を結ぶ太い線を歩きまわっているのもあれば、尾で均衡をとりながらくっついて動かないのもいる。近ごろはカラスの勘九郎までが女房つれて含み声で愛をささやくので、電線の客はいよいよ賑やかになった。
私が階下へ下りるのをみんなに知らせるのは窓へ来てククククとさいそくをしていた鳩である。小ぶりでひときわ足が赤い二羽。
広場へ餌を持って出るとザーッという音と共に舞い下りてくるのは百羽近いだろう。ヒチコックの「鳥」という映画を思い出す。餌は忽ちに無くなって、おとなしいのや足の不自由なの鳩はありつけない。時間を少しおいて、別の場所へもう一度餌をまく。こんどは食べのこしの御飯やパン屑も入っている。雀の朝食である。そこへ足の不自由なの鳩も来るのだ。私が見ていてやらなければ、またしても大鳩やカラスの勘九郎に食べられてしまうので、しばらくは「われと来て遊べや」の一茶に化ける。
猫の家の鍵を開けて「お次の番だよ、さあさあさあ」──うれしい朝である。ごろんごろんと太陽に腹を干すのも居れば、私に甘えてどうしようもない猫もいる。私は猫のお母ちゃん、どの子もかわいい。まんべんなく撫でて遊んで姉の出勤を待つ。
姉と猫の話はいつか書きたいが、ともかくこの二十匹近い住み込み社員のために、姉は社長でありながら六時半の出勤である。山のような食事を持ってやって来る。人間様の車で駐車場が騒がしくなる前の猫タイム。この子はカツオが好き、この子は鰯《いわし》、あの子は牛乳とキャットフード、ハムが好きという青い眼の猫もいて、すんだ者から顔を洗ってお化粧だ。草むらへ猟に出かける者もいる。
王子動物園の亀井一成氏をインタビューしたとき、子供が学校で「糞掃除の子」といじめられたときから「よおし、日本一の飼育係になるぞ父さんは」と発奮された話をしておられたが、この糞の始末ができないではそれこそ猫かわいがりにとどまる。ソバ屋の店員さんよろしくハイヨッと糞桶をかついで捨てて洗い清めて、やっと姉と私は朝のコーヒーにありつくわけである。
この毎朝のノルマを私は姉に課せられたのではない。しかし、二階借りの身であれば動物たちも家族である。裏切ることを知らぬ彼らの目に救われているのはむしろ私である。
何を忘れんと顔ふく濡れタオル
一合の米を計ると減る袋
紐張って一人の肌着乾きゆく
少し笑って猫を抱いても生きられる
一合の米を計ると減る袋
紐張って一人の肌着乾きゆく
少し笑って猫を抱いても生きられる