一匹の野獣のように
全身の力を振り絞る父の声が
真夜中の静寂を破り
長い廊下を駆け抜けていった
今、父は探している
自分が本来還り着くその場所を
死んでゆく苦しさは
生きてゆく苦しさと同じだと
ありったけの生を振り絞りながら
父は吠えた
意識を失ったままで
ブラインドの隙間から
明け方の白く粗い冷気がしのび込む頃
父の呼吸は
わずかに胸を上下するだけとなり
やがてその動きさえ見えなくなった
呼吸が止まる
胸を軽く叩く母
またしばらく息をする父
悲しいのでも 哀しいのでもなく
最后の別れの瞬間に存在するという
この不思議
どれが最後の呼吸であったのか
気づかぬうちに 父は逝った
ふらりと煙草でも買いに行くように
ひと言も残さないままで
春生まれの父は 旅立った
いつの間にか
コップに挿した桜の小枝が
みずみずしい緑の葉に変わっていた
生命はこんなにか細い小枝の先にさえ
しっかりと息づいているのだと
春は告げる