叶脉如拍打的波浪;茎干上的嫩毛闪闪发光;根须盘踞有力。我参观了正在东京都练马区牧野纪念园举办的名为“通往牧野式植物图之路”展览,其中展示了大约50幅牧野富太郎博士留下的精美画作,他依靠自学研究植物。
「特注の細筆で1ミリの幅に交錯なく5本の線を描き込んでいる。観察力も描く力も桁外れでした」と学芸員の伊藤千恵さん(36)。描き方に執念が宿る。
“他用特别定制的细笔在一平方厘米见方的纸上画了5条清晰的线。无论是其观察力还是会话能力,都远胜常人”,博物馆研究员伊藤千惠女士(36岁)说道。他非常专注于描绘。
幕末、土佐の造り酒屋に生まれた。授業に退屈して小学校を退校、植物を採集して過ごす。20歳を過ぎて東大植物学教室に出入りを許され、のちに助手の職につく。
幕府末年,他出生于土佐地区的一个酿酒工坊。因为觉得上课无趣,他从小学退学,然后过上了采集植物的日子。20岁后,他获得许可进入东大植物学教室学习,不久获得了助手的工作。
「学位のない私が学位のある人と対抗して相撲をとるのが愉快」「私のような学風と私のような天才はおそらくふたりと出ない」。自叙伝を読むと、謙遜の美徳などどこ吹く風である。教授の狭量さを嘆き、薄給の恨みをぶつけた。
“没有学位的我能够匹敌拥有的人,这令我非常高兴”;“像我这种学风、似我这样的天才恐怕世间找不出第二个”。读了他的自传,我看不到一丝诸如“谦虚”之类的美德。他不满教授的小鸡肚肠,并公开表示对微薄薪水的怨恨。
13人の子を抱えて引っ越すこと30回。ようやく構えた持ち家の跡が区立庭園となった。ひ孫である牧野一おき(かずおき)学芸員(71)の知る限り、孫やひ孫に植物研究の道に進んだ者はいない。「植物学のしんどさを聞かされて育ちました。もう一つは放任主義の家系のせい。富太郎も幼くして父母や祖父を亡くし、気ままに育ったようです」。
他有13个孩子,并搬过30次家。最后还不容易在区立庭院有了块安身之所。据其曾孙“牧野一おき”(71岁),一位博物馆研究员说,其孙辈和曾孙辈中没有人走研究植物的道路。“从小他们就是听着枯燥的植物学长大的。另外一个原因就是放任自流的家风。富太郎从小失去父母和祖父,完全是凭着自己个性长大的。”
今年で没後60年。生前からその人気は高く、講演や採集の催しはいつも盛況だった。「私は植物の精」「朝な夕なに草木を友にすれば淋(さび)しいひまがない」。天職と出会い、天命を悟り、天寿を全うした植物少年の歩みに、改めて羨望(せんぼう)のため息をついた。
今年是其逝世60周年。由于他生前的超高人气,无论是演讲还是采集活动总是人头攒动。“我是植物精灵”;“只要一天到晚与植物为友,我就不会感到寂寞”。这位植物少年从事自己命中注定的职业,感悟天命,得享天年,我对此唯有艳羡而已。