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アパートで聞いた話

时间: 2022-09-19    进入日语论坛
核心提示: そのおじさんは、いつも考かんがえこんでいるような、やさしい人ひとでした。少年しょうねんは、その人ひとのへやへいきました
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 そのおじさんは、いつも考かんがえこんでいるような、やさしい人ひとでした。少年しょうねんは、その人ひとのへやへいきました。
「なにか、お話はなしをしてくださいませんか。」と、たのみました。
「どんな話はなしかね。」と、おじさんは、聞ききました。
「どんな話はなしでもいいのです。」と、少年しょうねんがいうと、おじさんは、つぎのような話はなしをしてくれたのです。

二、三日にちまえの新聞しんぶんにあったが、街まちの中央ちゅうおうへビルディングができるので、地ちを深ふかくほりさげていると、動物どうぶつの骨ほねが出でてきた。それを学者がくしゃがしらべて、およそ二万年まんねんも前まえの人間にんげんの骨ほねで、まだ若わかい二十歳さい前後ぜんごの女おんならしいが、たぶん波なみにただよって、岸きしに死体したいがついたものだろう。この街まちのあるところが、当時とうじは海岸かいがんであったのがわかるというのだ。
この記事きじを見みて、私わたしは考かんがえさせられた。大和族やまとぞくより、もっとさきに住すんでいた民族みんぞくであろう。そのような遠とおい昔むかしから、人類じんるいには悲かなしみや、不幸ふこうというものが、つきまとっていたのを知しったからだ。いかなる災難さいなんか、またなやみからで、その女おんなは死しんだのであるが、若わかい身みでありながら、人生じんせいのよろこびも、たのしみも、じゅうぶん知しらずして、死しんでしまったのだ。
幾いく十世紀せいきかの間あいだには、海うみが陸りくとなったり、また陸りくが海うみになったりして、おどろくような事実じじつがあるにちがいないが、それよりも、人間にんげんの生命いのちのはかなさというものを、より強つよく感かんじられる。そして、いつの世よでも、一生しょうをぶじ幸福こうふくに生いきるということは、容易よういのことでないらしい。
このアパートの、下したのへやにいる娘むすめさんをごらん。つとめに出でるときは、お化粧けしょうをして、そのふうがりっぱなので、人目ひとめには、いきいきとして、美うつくしくうつるので、さぞゆかいな日ひを送おくってるだろうと思おもうけれど、家いえへ帰かえって、仕事しごとをするときのすがたを見みると、つかれて顔色かおいろが青白あおじろいじゃないか。母親ははおやが病気びょうきで長ながくねていては、自分じぶんは気分きぶんがわるいからとて、休やすむことさえできないのだ。
ゆうべも、この窓まどから大空おおぞらをながめると、数かぞえきれないほどの、たくさんな星ほしの群むれだ。それらの星ほしが、思おもい思おもい美うつくしく光ひかっている。なんとなく、見みていてうらやましい。おそらく、永久えいきゅうに夜よごと、こうしてさんらんとして輝かがやくことだろう。それだのに、人間にんげんだけは、どうして、こんなにはかないのだ。
私わたしは思おもった。人間にんげんには、みずからをまもり、あいてをとうとぶという美うつくしい道みちがあったのを忘わすれたからである。それで、破滅はめつをいそぐような、自殺じさつをしたり、戦争せんそうを起おこしたりするのだ。
自然界しぜんかいに法則ほうそくがあれば、人間界にんげんかいにも法則ほうそくがある。どの星ほしを見みても、ほこらしげに、また安やすらけく輝かがやくのは、天体てんたいの法則ほうそくを守まもるからだ。もし、星ほしが、軌道きどうをあやまつなら、瞬間しゅんかんにして、くだけて、ちってしまったろう。

「おじさんは、星ほしを見みるのがすきですか。」と、少年しょうねんは、聞ききました。
「私わたしは、子供こどもの時分じぶん、星空ほしぞらを見みるのが、なにより好すきだった。神かみさまのかいた絵えでも見みるようで、いろいろふしぎな空想くうそうにふけったものだ。」
「どうも、ありがとうございました。」と、少年しょうねんは、おじさんのへやを出でました。

つぎに少年しょうねんは、元気げんきな、ほがらかな青年せいねんに話はなしを聞きこうと思おもいました。
「お兄にいさん、なにか話はなしをしてください。」と、たのみました。
「どんな話はなしだい。」と、ふいにいわれたので、彼かれは、おどろいて、少年しょうねんの顔かおを見みました。
「なにか、ためになるような。」と、少年しょうねんがいうと、青年せいねんは、うなずきながら、
「それなら、感心かんしんしたことがあるよ。それを聞きいてもらおうか。」と、まえおきして、

「このあいだ、にぎやかな町まちの通とおりを歩あるいたのだ。せまい往来おうらいを自転車じてんしゃが走はしり、自動車じどうしゃが通とおり、ときどき道みちはばいっぱいの、トラックがいく。そのうえ、人間にんげんでごったがえしていた。じっさい、どこもかしこも、人間にんげんばかりだという感かんじがした。両りょうがわの店みせでは、たがいにおなじような品物しなものをならべて、競争きょうそうをしあっている。どこを見みても、ただ自分じぶんだけは生いきなければならぬとあせっているので、すこしものんびりとしたところがない。もし、おたがいに気持きもちをかえて、生活せいかつを新あたらしく出でなおしでもしなければ、人間にんげんは、死しぬまで、この苦くるしみをつづけなければならぬだろうと、おそろしくなったよ。」
「しかし、お兄にいさんは、いつもゆかいそうに見みえるがなあ。」と、少年しょうねんは、いいました。なぜなら、頭あたまはきれいにわけているし、くつはぴかぴか光ひかっているし、口笛くちぶえなどふいて歩あるくし、どこにも、苦労くろうなんか、なさそうだからでした。
「そんなに、ぼくが見みえるかえ。」と、青年せいねんは笑わらって、話はなしのあとをつづけました。

「それは、ぼくもたまには、ダンスをやるし、映画えいがや、スポーツを見みにもいくさ。なにしろ息いきづまるような世よの中なかだもの、それくらいはしかたがないだろう。だが、そんなことしたって、なんにもならないよ。ただゆううつを感かんじるばかりだ。ところが、ほんとうに考かんがえさせられることがあった。町まちを歩あるいていたときだ。とつぜん、頭あたまの上うえの拡声器かくせいきから、女おんなの声こえが、がなりはじめて、夏なつものの投なげ売うり宣伝せんでんや、駅前えきまえに喫茶店きっさてんが開業かいぎょうした広告こうこくや、その他たうるさくさえ思おもったのを、なに町まちなん丁目ちょうめのくつ店てんでは、みなさまによい品しなをお安やすくサービスしますといったので、ぼくは、さっそくその店みせへいってみる気きになった。それほどくつが必要ひつようにせまられていたのだ。すると、たしかにほかの店みせよりは、よい品物しなものが安やすく買かえるので、求もとめたのである。
『時節じせつがら、みなさまの身みにもなってみまして、てまえどもは、食たべていければいいという精神せいしんで、ご奉公ほうこうをしています。』と、主人しゅじんは、いった。いまどきこんな考かんがえをもつものがあろうかと、なんだか、うそのような気きがしたけれど、無上むじょうにうれしかった。そして、急きゅうにこの世よの中なかが明あかるくなったようで、希望きぼうがもてたのである。たとえ、食くうために、身みを機械きかいにしてアナウンスしても、あの女おんなまでが、いい仕事しごとをしているように見みえて、ぼくは、自分じぶんを恥はずかしく思おもったのだ。」

「お兄にいさん。すると、自分じぶんのことばかり考かんがえず、他人たにんのことも思おもうなら、この世よの中なかは、明あかるくなるんですね。」と、少年しょうねんは、聞ききました。
「それも、一人ひとりや、二人ふたりではだめだ。道みちを歩あるくもの、電車でんしゃに乗のるもの、めいめいが職場しょくばをもっている。そして、社会しゃかいと関係かんけいのない仕事しごとというものはないのだから、みんなが、その気きになればいいと思おもうのだよ。」
二人ふたりの話はなしを聞きいて、その日ひから、少年しょうねんに、アパートの人々ひとびとを見みなおす気きがおこったのでした。
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