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牛女(1)

时间: 2022-10-17    进入日语论坛
核心提示:牛女小川未明 ある村(むら)に、脊(せ)の高(たか)い、大(おお)きな女(おんな)がありました。あまり大(おお)きいので、くびを垂(
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牛女

小川未明


 ある村(むら)に、脊(せ)の高(たか)い、大(おお)きな女(おんな)がありました。あまり大(おお)きいので、くびを垂(た)れて歩(ある)きました。その女(おんな)は、おしでありました。性質(せいしつ)は、いたってやさしく、涙(なみだ)もろくて、よく、一人(ひとり)の子供(こども)をかわいがりました。
 女(おんな)は、いつも黒(くろ)いような着物(きもの)をきていました。ただ子供(こども)と二人(ふたり)ぎりでありました。まだ年(とし)のいかない子供(こども)の手(て)を引(ひ)いて、道(みち)を歩(ある)いているのを、村(むら)の人(ひと)はよく見(み)たのであります。そして、大女(おおおんな)でやさしいところから、だれがいったものか「牛女(うしおんな)」と名(な)づけたのであります。
 村(むら)の子供(こども)らは、この女(おんな)が通(とお)ると、「牛女(うしおんな)」が通(とお)ったといって、珍(めずら)しいものでも見(み)るように、みんなして、後(うし)ろについていって、いろいろのことをいいはやしましたけれど、女(おんな)はおしで、耳(みみ)が聞(き)こえませんから、黙(だま)って、いつものように下(した)を向(む)いて、のそりのそりと歩(ある)いてゆくようすが、いかにもかわいそうであったのであります。
 牛女(うしおんな)は、自分(じぶん)の子供(こども)をかわいがることは、一通(ひととお)りでありませんでした。自分(じぶん)が不具者(ふぐしゃ)だということも、子供(こども)が、不具者(ふぐしゃ)の子(こ)だから、みんなにばかにされるのだろうということも、父親(ちちおや)がないから、ほかにだれも子供(こども)を育(そだ)ててくれるものがないということも、よく知(し)っていました。
 それですから、いっそう子供(こども)に対(たい)する不憫(ふびん)がましたとみえて、子供(こども)をかわいがったのであります。
 子供(こども)は男(おとこ)の子(こ)で、母親(ははおや)を慕(した)いました。そして、母親(ははおや)のゆくところへは、どこへでもついてゆきました。
 牛女(うしおんな)は、大女(おおおんな)で、力(ちから)も、またほかの人(ひと)たちよりは、幾倍(いくばい)もありましたうえに、性質(せいしつ)が、やさしくあったから、人々(ひとびと)は、牛女(うしおんな)に力仕事(ちからしごと)を頼(たの)みました。たきぎをしょったり、石(いし)を運(はこ)んだり、また、荷物(にもつ)をかつがしたり、いろいろのことを頼(たの)みました。牛女(うしおんな)は、よく働(はたら)きました。そして、その金(かね)で二人(ふたり)は、その日(ひ)、その日(ひ)を暮(く)らしていました。
 こんなに大(おお)きくて、力(ちから)の強(つよ)い牛女(うしおんな)も、病気(びょうき)になりました。どんなものでも、病気(びょうき)にかからないものはないでありましょう。しかも、牛女(うしおんな)の病気(びょうき)は、なかなか重(おも)かったのであります。そして働(はたら)くこともできなくなりました。
 牛女(うしおんな)は、自分(じぶん)は死(し)ぬのでないかと思(おも)いました。もし、自分(じぶん)が死(し)ぬようなことがあったなら、子供(こども)をだれが見(み)てくれようと思(おも)いました。そう思(おも)うと、たとえ死(し)んでも死(し)にきれない。自分(じぶん)の霊魂(たましい)は、なにかに化(ば)けてきても、きっと子供(こども)の行(ゆ)く末(すえ)を見守(みまも)ろうと思(おも)いました。牛女(うしおんな)の大(おお)きなやさしい目(め)の中(なか)から、大粒(おおつぶ)の涙(なみだ)が、ぽとりぽとりと流(なが)れたのであります。
 しかし、運命(うんめい)には牛女(うしおんな)も、しかたがなかったとみえます。病気(びょうき)が重(おも)くなって、とうとう牛女(うしおんな)は死(し)んでしまいました。
 村(むら)の人々(ひとびと)は、牛女(うしおんな)をかわいそうに思(おも)いました。どんなに置(お)いていった子供(こども)のことに心(こころ)を取(と)らたろうと、だれしも深(ふか)く察(さっ)して、牛女(うしおんな)をあわれまぬものはなかったのであります。
 人々(ひとびと)は寄(よ)り集(あつ)まって、牛女(うしおんな)の葬式(そうしき)を出(だ)して、墓地(ぼち)にうずめてやりました。そして、後(あと)に残(のこ)った子供(こども)を、みんながめんどうを見(み)て育(そだ)ててやることになりました。
 子供(こども)は、ここの家(うち)から、かしこの家(うち)へというふうに移(うつ)り変(か)わって、だんだん月日(つきひ)とともに大(おお)きくなっていったのであります。しかし、うれしいこと、また、悲(かな)しいことがあるにつけて、子供(こども)は死(し)んだ母親(ははおや)を恋(こい)しく思(おも)いました。
 村(むら)には、春(はる)がき、夏(なつ)がき、秋(あき)となり、冬(ふゆ)となりました。子供(こども)は、だんだん死(し)んだ母親(ははおや)をなつかしく思(おも)い、恋(こい)しく思(おも)うばかりでありました。
 ある冬(ふゆ)の日(ひ)のこと、子供(こども)は、村(むら)はずれに立(た)って、かなたの国境(こっきょう)の山々(やまやま)をながめていますと、大(おお)きな山(やま)の半腹(はんぷく)に、母(はは)の姿(すがた)がはっきりと、真(ま)っ白(しろ)な雪(ゆき)の上(うえ)に黒(くろ)く浮(う)き出(だ)して見(み)えたのであります。これを見(み)ると、子供(こども)はびっくりしました。けれど、このことを口(くち)に出(だ)してだれにもいいませんでした。
 子供(こども)は、母親(ははおや)が恋(こい)しくなると、村(むら)はずれに立(た)って、かなたの山(やま)を見(み)ました。すると、天気(てんき)のいい晴(は)れた日(ひ)には、いつでも母親(ははおや)の黒(くろ)い姿(すがた)をありありと見(み)ることができたのです。ちょうど母親(ははおや)は、黙(だま)って、じっとこちらを見(み)つめて、我(わ)が子(こ)の身(み)の上(うえ)を見守(みまも)っているように思(おも)われたのでありました。
 子供(こども)は、口(くち)に出(だ)して、そのことをいいませんでしたけれど、いつか村人(むらびと)は、ついにこれを見(み)つけました。
「西(にし)の山(やま)に、牛女(うしおんな)が現(あらわ)れた。」と、いいふらしました。そして、みんな外(そと)に出(で)て、西(にし)の山(やま)をながめたのであります。
「きっと、子供(こども)のことを思(おも)って、あの山(やま)に現(あらわ)れたのだろう。」と、みんなは口々(くちぐち)にいいました。子供(こども)らは、天気(てんき)のいい晩方(ばんがた)には、西(にし)の国境(こっきょう)の山(やま)の方(ほう)を見(み)て、
「牛女(うしおんな)! 牛女(うしおんな)!」と、口々(くちぐち)にいって、その話(はなし)でもちきったのです。
 ところが、いつしか春(はる)がきて、雪(ゆき)が消(き)えかかると、牛女(うしおんな)の姿(すがた)もだんだんうすくなっていって、まったく雪(ゆき)が消(き)えてしまう春(はる)の半(なか)ばごろになると、牛女(うしおんな)の姿(すがた)は見(み)られなくなってしまったのです。
 しかし、冬(ゆふ)となって、雪(ゆき)が山(やま)に積(つ)もり里(さと)に降(ふ)るころになると、西(にし)の山(やま)に、またしても、ありありと牛女(うしおんな)の黒(くろ)い姿(すがた)が現(あらわ)れました。村(むら)の人々(ひとびと)や子供(こども)らは冬(ふゆ)の間(あいだ)、牛女(うしおんな)のうわさでもちきりました。そして、牛女(うしおんな)の残(のこ)していった子供(こども)は、恋(こい)しい母親(ははおや)の姿(すがた)を、毎日(まいにち)のように村(むら)はずれに立(た)ってながめたのであります。
「牛女(うしおんな)が、また西(にし)の山(やま)に現(あらわ)れた。あんなに子供(こども)の身(み)の上(うえ)を心配(しんぱい)している。かわいそうなものだ。」と、村人(むらびと)はいって、その子供(こども)のめんどうをよく見(み)てやったのす。
 やがて春(はる)がきて、暖(あたた)かになると、牛女(うしおんな)の姿(すがた)は、その雪(ゆき)とともに消(き)えてしまったのでありました。

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