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時計と窓の話(1)

时间: 2022-11-27    进入日语论坛
核心提示:時計と窓の話小川未明私わたしの生うまれる前まえから、このおき時計どけいは、家いえにあったので、それだけ、親したしみぶかい
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時計と窓の話

小川未明


私わたしの生うまれる前まえから、このおき時計どけいは、家いえにあったので、それだけ、親したしみぶかい感かんがするのであります。ある日ひのこと、父ちちが、まだ学生がくせいの時分じぶん、ゆき来きする町まちの古道具屋ふるどうぐやに、この時計とけいが、かざってあったのを見みつけて、いい時計とけいと思おもい、ほしくてたまらず、とうとう買かったということです。
「これは、外国製がいこくせいで、こちらのものでありません。ある公使こうしの方かたが持もって帰かえられましたが、その方かたが、おなくなりになって、こんど遺族いぞくは、いなかへお移うつりなさるので、いろいろの品しなといっしょに出でたものです。機械きかいは正確せいかくですし、ごらんのとおり、どこもいたんでいません。」と、そのとき、店みせの主人しゅじんは、いったそうでした。
父ちちは、主人しゅじんのいうことを信しんじ、ほり出だしものをしたと喜よろこんで、これをだくようにして、自分じぶんのへやへ持もち帰かえりました。
私わたしは、父ちちから聞きいた、そんな遠とおい昔むかしのことを考かんがえながら、いま自分じぶんの本ほんだなにのっている時計とけいをながめていました。外国がいこくから、日本にっぽんへわたり、人ひとの手てから人ひとの手てへ、てんてんとして、使用しようされてきたので、時計とけいも、だいぶ年としをとっていると思おもいました。
たとえ、古ふるくなっても、その美うつくしい形かたちは、かわらなかったのです。四角形かくけいというよりは、いくらか長方形ちょうほうけいで、金色きんいろにめっきがしてあり、左右さゆうの柱はしらには、ぶどうのつるがからんでいて、はとのとんでいる浮うきぼりがしてあるので、いつ見みても平和へいわな、しずかな感かんじがするのでした。
私わたしの本ほんだなには、教科書きょうかしょや、雑誌ざっしや、参考書さんこうしょなどが、ごっちゃにはいっています。壁かべには、カレンダーがかかっているし、へやのすみには、野球やきゅうのミットが投なげ出だしてあって、べつにかざりというものがなかったから、この時計とけいだけが、ただ一つ光ひかって、宝物たからもののように見みえました。
母ははも、そう思おもっていたようです。しかし、母ははが宝物たからものと思おもったのは、多少たしょうぼくが思おもったのと、意味いみがちがうかもしれません。なぜなら、父ちちと母ははが、家いえを持もったはじめのころは、まだいまの大おおきな柱時計はしらどけいもなくて、このおき時計どけいただ一つがたよりだったからでした。毎朝まいあさ、父ちちは、この時計とけいを見みて出勤しゅっきんしたし、また母ははは、この時計とけいを見みて、夕飯ゆうはんのしたくをしたのでした。そして、時計とけいは、休やすみなく、くるいなく、忠実ちゅうじつに、そのつとめをはたしたのです。
けれど、ぼくが生うまれて、学校がっこうへあがる時分じぶんには、いつしか、茶ちゃの間まの柱はしらへ、大おおきな時計とけいがかかって、時間じかんごとに、いい音おとをたてたり、すべてご用ようをたすようになっていたので、この金色きんいろのおき時計どけいは、忘わすれられたように、父ちちの書斎しょさいで、書しょだなの上うえにのせられたまま、ほこりをあびていました。
私わたしは、ほこりをあびて、止とまっている時計とけいを見みるたびに、なんだか、かわいそうに思おもい、人間にんげんのかって気きままに対たいして、腹立はらだたしくさえ感かんじました。
「おとうさん、あのおき時計どけいをもらっても、いいでしょう。」と、私わたしは、たのみました。
なぜか、父ちちは、すぐにやるといわなかったのです。それを無理むりにたのんで、私わたしは時計とけいを自分じぶんのへやへ持もってきました。その当座とうざのこと、母ははは、そうじをしに、私わたしのへやへはいってこられると、おき時計どけいをごらんになって、
「これは、いい時計とけいですから、だいじになさい。」と、いわれたのでした。さも、子こどもが持もつような品しなでないといわれるようでした。
「なにしろ、正しょうちゃんの生うまれる前まえから、家うちにあるのだし、おとうさんが、だいじにしていられたのですからね。それに、この時計とけいを見みると、平和へいわな感かんじがするでしょう。」と、おかあさんは、いわれました。
「ぼくも、そう思おもうんです。しかし、時間じかんは、正確せいかくなんですか。」と、私わたしは、いいました。
いつか、山本やまもとくんが遊あそびにきて、ラジオを聞ききながら、この時計とけいを見みあげて、
「おや、この時計とけいは、おくれているのだね。」と、いったことがあるからです。
「それは、正確せいかくでしょうよ。おとうさんが、外国製がいこくせいのいい時計とけいだと、いつもほめていらしたのですから。」
母ははは戦時中せんじちゅう、この時計とけいを疎開先そかいさきへ持もっていって、こちらへ帰かえると、時計屋とけいやへみがきに出だしたこと、そして、それがなかなか手間てまどるので、父ちちが再さい三さいそくにいったことなど、思おもい出だしました。
「なるほど、いくらいい機械きかいでも、長ながい間あいだには、はがねがすれて、へってしまうだろう。」と、父ちちは、持もって帰かえった時計とけいをながめて、いっていました。
「どうかなったのですか。」と、おかあさんが、そのそばへいくと、
「昔むかしの機械きかいは、いたんでも、とりかえができぬから、こわれれば、それまでだということだ。これは機械きかいにかぎらず、なんでもそうだろう。しかし、まだ役やくにたちそうだから、このままにしておきましょう。」と、そのとき、父ちちがいったことを思おもい出だしたので、
「あちらのものは、こわれると、こちらでは直なおされないといいますから、こまりますね。」と、母ははは、いいました。
このことばを聞きくと、ぼくは、外国品がいこくひんだけに、かえって、不安ふあんな気きがしました。いくら宝物たからもののようにだいじにしても、時計とけいであるかぎり、時間じかんがくるえば、まったく価値かちはなくなると思おもったからです。
ある日ひ、他たの学校がっこうと、野球やきゅうの試合しあいをするので、正しょう二時じに、グラウンドへ集あつまる約束やくそくをしました。ぼくは、すこし早はやめにいったつもりなのに、もうみんながきて、ぼくのくるのを待まっていました。
「正しょう二時じといったのに、君きみがこないから、どうしたのかと思おもっていたよ。」と、一人ひとりが、せめるごとくいいました。
「そのつもりで、きたんだが。」と、私わたしは、どうして、おくれたのか、ふしぎに思おもったのです。
「正しょうちゃんの時計とけいは、やはりおくれているのだ。ラジオのほうが、まちがっているなんて、君きみはおかしなことをいったよ。ちょうど、日本にっぽんが世界せかいじゅうでいちばん強つよいと思おもっていたのと、おんなじなんだぜ。」と、山本やまもとくんが、じょうだんをいって笑わらいました。それをきいて一同どうが笑わらい出だしました。ぼくは、そういわれると、さすがに、はずかしくなりました。父ちちの自慢じまんした時計とけいが、やはり正確せいかくでなかったのかと思おもったのであります。
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