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花と人間の話(1)

时间: 2022-12-05    进入日语论坛
核心提示:花と人間の話小川未明あるところに、おじいさんと、おばあさんとが住すんでいました。その家うちは貧まずしく、子供こどもがなか
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花と人間の話

小川未明


あるところに、おじいさんと、おばあさんとが住すんでいました。その家うちは貧まずしく、子供こどもがなかったから、さびしい生活せいかつを送おくっていました。
二人ふたりは、駄菓子だがしや、荒物あらものなどを、その小ちいさな店みせさきに並ならべて、それによって、その日ひ、その日ひを暮くらしていたのです。
あるとき、おじいさんは、どこからか、小ちいさな常夏とこなつの芽めをもらってきました。それを鉢はちに植うえて水みずをやり、また、毎日まいにち、日ひあたりに出だして生長せいちょうするのを楽たのしみに丹精たんせいをいたしました。
木きによらず、草くさによらず、また人ひとによらず、すべて小ちいさなときから、大おおきくなるには、容易よういのことでありません。いろいろの悩なやみや、苦痛くつうや、骨ほねおりがそれに伴ともなうものです。
おじいさんは、常夏とこなつを大おおきな雨あめに当あてないようにしました。また、風かぜの強つよい日ひは、外そとへ出ださないようにしました。こうして、一夏ひとなつすぎましたけれど、常夏とこなつはそう大おおきくはなりませんでした。小ちいさなつぼみを一つ、二つつけましたけれど、それが咲さかないうちに、秋あきとなり、冬ふゆとなってしまいました。おじいさんは、霜しもにあててはならないと思おもって、家うちの中なかへいれておきました。そして、日ひの当あたるときだけ、窓まどぎわに出だしてやりました。けれど、とうとうそのつぼみは開ひらかずにしまいました。
おじいさんは、来年らいねんの春はるになるのを待まったのです。ついに、その春はるがきました。すると、常夏とこなつの芽めは、ぐんぐんと大おおきくなりました。はじめは、細ほそい枝えだが、二本ほんしかなかったのが、たちまちのうちに、三本ぼんになり、四本ほんとなり、細こまかな葉はがたくさんついたのであります。そして、夏なつのはじめのころには、真紅まっかな花はなが、いくつも咲さきました。
「おばあさん、こんなに、常夏とこなつがよくなった。」と、おじいさんは、いいながら、水みずをやって、常夏とこなつの鉢はちを店みせさきに飾かざっておきました。
しかし、これほどの常夏とこなつは、ほかにいくらでもありました。まだ、たいしてりっぱな常夏とこなつということができません。
ちょうが、どこからか飛とんできて、花はなの上うえへとまりました。最初さいしょは、それは、おじいさんの目めを喜よろこばしましたのですけれど、ちょうがたくさんの卵たまごを産うんでいって、あとから、青あおい裸虫はだかむしが無数むすうに孵化ふかして、柔やわらかな芽めや、葉はを食たべることを知しりますと、おじいさんは、葉はについた虫むしを取とってやったり、また、ちょうが飛とんできて止とまろうとするのを追おったりして、それは、人ひとの知しらぬ苦心くしんをして、花はなをいたわってやったのであります。
こうして、おじいさんのひと通とおりでない骨ほねおりによって、常夏とこなつは、ますますみごとに生長せいちょうをいたしました。
三年ねんめには、それは、ほんとうに、みごとな常夏とこなつになりました。店みせさきに置おいてあったのを通とおりすがりの人ひとが振ふり向むいてゆくようになりました。
「なんというりっぱな常夏とこなつだろう。」
と、前まえを通とおる人ひとが、いってゆきました。
家いえの内うちにいて、おじいさんは、これを聞きくと得意とくいでありました。
「そうとも、私わしが、子供こどもを育そだてるように、大事だいじにして、大おおきくしたのだったもの。」と、おじいさんは、たばこをすいながら、独ひとりごとをしました。
その翌年よくとしには、ますます常夏とこなつは、みごとになりました。茎くきは太ふとく木きのようになり、小ちいさな技えだは、幾筋いくすじとなく鉢はちのまわりに垂たれ下さがって、そのどんな小ちいさな芽めさきにも、かわいらしいつぼみがついたのであります。
もう、こんなにみごとな常夏とこなつは、そう世間せけんにたくさんあるものでありませんでした。人々ひとびとが、この花はなを見みて、いろいろいってほめるのを聞きくと、おじいさんは、まるで、自分じぶんの子供こどもがほめられるように、うれしがりました。
「この常夏とこなつは、私わしの家うちの宝たからだ。」
と、おじいさんは笑わらいながらいったのです。
なるほど、この貧まずしい店みせさきを見みまわしても、この美うつくしい、いきいきとした赤あかい花はなの鉢はちよりほかに、目めをひくようなものはありませんでした。
おじいさんは、常夏とこなつの花はなを見みるときは、すべてのさびしさも、悲かなしさも、たよりなさも、いっさい忘わすれてしまいました。おばあさんは、また、おじいさんの毎日まいにちうれしそうな顔かおつきを見みるのが、なによりの楽たのしみでありました。
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