上総(かずさ)·下総(しもうさ) (千葉県)
なぜ房総半島は、上が「下総」で下が「上総」なのか?
現在の千葉県は、かつて「上総」「下総」「安あ房わ」と呼ばれていたが、そのうち上総と下総には、なんとも不思議な関係性がある。
昔の地図を見てみると、房総半島の上にあるのが下総で、下にあるのが上総となっている。常識的に考えると、言わずもがな、これは上下逆である。
じつは、昔の国名は北が上で南が下というわけではなく、「都に近いほうを上」としていた。いまでもよく、地方から東京に出てくることを「上京」というが、これも同じような考えから使われるようになった言葉だ。
つまり、下総は北にあっても、都から遠いために下総と呼ばれ、上総は南にあっても都に近いために上総と呼ばれたというわけだ。
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ところが、それでもよく考えると疑問が残る。上総と下総の国が分かれた七世紀後半に、当時の日本の中心地である近畿から房総に行くためには、陸路で下総を通って上総に行かなければならない。だとすれば、都に近いのは上総ではなく下総なのではないかということだ。
しかし、実際は当時の東海道は陸路ばかりではなかった。三浦半島から房総半島に船で渡り、上総から下総へ向かうという海上ルートがあったのだ。そうすると、やはり、上総のほうが都に近かったということになる。
なお、現在の新潟県である越後国の「上越」「中越」「下越」も、地図では下越がいちばん上にある。これもまた、上総?下総と同じ論理で命名されたものである。