富士山(ふじさん) (静岡県・山梨県)
二つとない山なれど、名前の由来は諸説乱立
「富士山」という名前の由来には、これでもかというくらいに、たくさんの説がある。誰もが、われこそは日本一の美しい山の名付け親だといいたいがために、それらの説をつくるのかもしれないが、これほど諸説が乱立していることも珍しい。
まず、ほかに比べようがない、唯一無二の高峰であるということから、「不二山」。さらに、山の頂に雪が絶えないという意味で、「不尽山」もある。ただし現在では、夏の富士山には頭頂部に雪がなくて青々としているのだが、地球が温暖化する前の時代には、一年中、冠雪していたのではないだろうか。
また、万葉集の歌人、山やま部べの赤あか人ひとが「田子の浦ゆ うち出でてみれば真白にぞ 不尽の高嶺に雪はふりける」と詠んでいる。これは、尽きることのない雪に加え、「尽きることのない富士の大きさ」ということを表現したのかもしれない。
ほかにも『竹取物語』などでは、不老不死の伝説から「不死山」という説、「福寿山」といういかにもおめでたい名前が訛なまったという説、同じようなあて字で「富慈山」という説もある。
諸説あるなかでも、現在の富士山という表記に関しては、鎌倉時代以降に発達した武士道の精神を受け、「士に富む山」という意味が自然な流れとして適当だとみられる。
なお、変わりダネとしては、アイヌ語の「フンチ(火の神=火山)」や、マレー語の「フジ(すばらしいという意味)」からきたのではないかという説もある。
ちなみに、富士山が誰のものかなどと考えたことはあるだろうか。じつは、富士山八合目から山頂は浅せん間げん神社の民有地なのだ。正式には「富士山本ほん宮ぐう浅間大社」といい、一九六八(昭和四十三)年には国とのあいだで争って、最高裁判所で所有が認められている。