静岡(しずおか) (静岡県)
かつては「静かな丘」ではなく「賤しい丘」だった
駿する河がの国くには、徳川家康が豊臣秀吉によって関東へ封じられる前に本拠としていた地だ。その縁で、隠居後の家康は駿すん府ぷに城を築いて居城とした。
そこが現在の「静岡」で、古代には駿河国の国府が置かれていたことから「駿府」「府中」などと呼ばれていた土地だ。ただし、駿府と通称されてはいたものの、江戸時代の正式な藩名は府中藩であった。
明治時代になって廃藩置県がおこなわれたとき、たいていの県は旧藩名をそのまま県名として使った。にもかかわらず、府中は県名としては採用されず、静岡県という名が付いた。
たしかに新政府は、官軍に抵抗して賊軍となった藩には、県名や県庁所在地を決めるときに、旧藩ゆかりの名や城下町名をあえて避けたという実例はある。しかし静岡に関しては、旧徳川家色を一掃したいという思惑があって、まったく別名にしたわけではなかった。
廃藩置県に先立ち、将軍職を失った徳川家は駿府に移封され、後継者の家いえ達さとは府中藩主となっていた。ところが、府中の読み方は音が「不忠」に通じると考えた家達は、現地にある賤しず機はた山の南の丘陵「賤ヶ丘」にちなみ、「賤丘」と名付けた。
しかし、藩の学者のなかには、いくらゆかりの名といっても「賤いやしい丘」では藩名としてはふさわしくないと提言する者がいた。彼は音だけは同じ「しず」でも「静」の漢字を使えば、幕末の争乱も静まった世らしくてよいのではと進言した。同時に「丘」の字も同音異字の「岡」にするようすすめたのは、画数が多くて「静」とのバランスがよいと考えたからだろう。
家達はこれをそっくり受け入れ、新政府に改名を申請して許可を得たため、廃藩置県に際してもそのまま静岡県が使われたのである。