蚕ひめ子こが落ちたという丘「日ひ女め道じ丘おか」
「姫路」という、なにやら奥ゆかしげな地名については、その由来を知る大きな手がかり
が『播はり磨まの国くに風ふ土ど記き』という書物のなかに残されている。
それによると、当地にある一四の丘の由来について、神話時代の話に触れた部分があ
り、そこに「ひめじ」の名が登場する。船の積み荷が落ちたところがそれぞれ丘になり、
そのなかの一つ、蚕かいこの落ちた場所を、当時は蚕を「蚕ひめ子こ」と呼んでいたこと
から「日ひ女め道じ丘おか」と名付けたのだという。
ただ、蚕から姫に結び付いたのは、養蚕機はた織おりが女性の仕事だったからごく自然
な発想といえるが、蚕を「こ」「ひむし」などと読むことはあっても「ひめ」とは読まな
いという点で、この起源説に疑問をもつ向きもあるようだ。
また、いま姫路城がある場所を「姫山」と呼ぶことから、古代に○○姫が暮らしていたこ
とに由来する命名だという、高貴な女性の名前起源説もいくつか唱えられているが、その
姫の名前は説ごとに違っていて、特定はされていない。さらに、鎌倉時代には「姫道村」
と表記されていたことから、古代に岡山県東南部にあった「姫氏の国」へ通じる道のこと
を語源とする説もある。
せっかく『播磨国風土記』という手引きがありながら、中世以降、大正時代に至るま
で、さきの「蚕起源説」が無視されてきたのは、『播磨国風土記』が神話時代のは話ゆ
え、信憑性に乏しいという理由からだった。
なお、「姫路」という字で書かれるようになるのは、室町時代以降になってからであ
る。
近年ふたたび「蚕起源説」が主流になりつつあり、文字はどうであれ、「ひめじ」とい
う地名そのものは奈良時代にまでさかのぼるという裏付けもある、由緒ある名前といえよ
う。