橋の上で、遊郭へ「行こうか、戻ろうか」と思案した
長崎市内一の繁華街の近くに、路面電車の電停「思案橋」がある。しかし、そばには橋
らしきものもなければ川も流れていない。あるのは、橋の欄干をデザインした思案橋跡の
碑があるだけだ。この碑は、かつてここにあった橋を記念して建てられたもので、川は暗
あん渠きよとなって上を道路が走ることになったのである。
思案橋のことは、江戸時代の『長崎名勝図絵』にも紹介されているが、当時は黒川橋と
いう名前だった。それが、誰がいうともなく思案橋と呼ばれるようになったのは、橋を
渡った先が丸山遊郭だったからだ。
一六四二(寛永十九)年、長崎市中に点在していた遊郭を、まとめて一か所に集めてつ
くられたのが丸山遊郭である。ここは江戸時代を通じ、江戸の吉原、京都の島原と並び称
された遊里だった。
遊里へ足を向けた男性客は、この橋までやってくると「行こうか、戻ろうか」と、しば
し思案した。女性が春を売る場所として公認だったとはいえ、女遊びに多少はためらいが
ある男性もいたのであろう。
そして、橋を渡ってさらに歩を進めると、左手の坂の上に広がるのが丸山遊郭跡。その
坂下の柳のそばに、よく見ないと見落としてしまいそうな石柱がある。石柱に彫られた文
字は「おもひきりばし」という平仮名だが、これは「思切橋」の跡。橋を渡ったあと、こ
こで思い切りよく遊郭へ足を進めたというわけだ。
遊郭のなくなった現在は、思案橋の名前が歌やドラマで有名になったために石碑が建て
られ、近くには橋にちなんだ名前の思案橋繁華街が夜をにぎわしている。