能の古この島しま (福岡県福岡市)
外難に備え、皇后が神霊を「残した」島
博多湾に浮かぶ「能古島」は、現在はキャンプ場や海水浴場があって福岡市民の身近な
レジャーランドになっている。しかし歴史をたどると、同地が由緒正しい土地であること
がわかる。
それは、この島の産うぶ土すな神がみである白しら鬚ひげ神社が教えてくれる。
ここは奈良時代の創建と伝えられ、祭神は住吉大神、神じん功ぐう皇こう后ごう、志賀
明神などだ。島の名前も、神功皇后が住吉大神の神霊を残していったため「残のこの島し
ま」と呼んだことに由来するという。
神功皇后は、朝鮮半島攻めの神話で知られる女性だが、彼女の残した神霊により、九州
沿岸は攻めてくる外敵に備えることができたのである。
古代に、この島の北に位置する也や良らに防さき人もりが置かれたことは『万葉集』に
残された歌からもわかり、平安時代の刀と伊いの入にゆう寇こう(一〇一九=寛仁三年)
の際にも守りの拠点となった。鎌倉時代の文永・弘安の役えきでは、蒙古軍に攻められなが
らも、大きな被害にならずにすんでいる。
そして、江戸時代に入ると、要塞としてよりも、廻船業の寄港地となって繁栄をみた。
古代から「能許」「能挙」「能巨」「能古」「野古」などと書かれてきた地名も、この時
代には「残島」で統一されていた。
それが、一九四一(昭和十六)年に福岡市と合併するときには、由緒ある能古島に改め
られている。