ミキモト真珠島(ミキモトしんじゆしま) (三重県鳥羽市)
世界初の真珠養殖の舞台は、企業名が島名に
世界ではじめて真珠の養殖に成功したのは、御み木き本もと幸こう吉きちである。それまでは、自然に貝が育んでくれるのを待つしかなかった真珠が、人の手を加えることで生産できるようになったのだ。以来、日本は良質の真珠輸出国としての地位を築いてきた。
御木本幸吉は、鳥羽港沖二〇〇メートルに位置する六〇〇メートル四方ほどの小島で真珠養殖の実験に取り組んだ。そして、その実験に成功するのは、一八九三(明治二十六)年のことだった。
この島は本来が無人島で、小島、相島などと書いて「おじま」「おうじま」と呼ばれることはあったようだが、鳥羽港の防波堤の役を果たしているだけの小島だった。それが、真珠養殖成功の地としてあまりにも有名な島になってしまう。
戦前は、真珠の養殖現場が見られるよう整備をおこなって、見学者を受け入れていたが、戦後は一般開放して観光施設化している。
名前もミキモトパールアイランドといった愛称が付けられ、いまでは島名も、ただの「真珠島」、あるいは「ミキモト真珠島」と呼ばれるようになった。
一九七〇(昭和四十五)年には港の陸地と結ぶ、全長約六三メートルの「パールブリッジ」も完成し、多くの観光客を集めている。
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