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八戸(はちのへ)

时间: 2025-03-03    进入日语论坛
核心提示:八戸(はちのへ) (青森県八戸市)   青森県八戸のまわりに一戸から九戸までの地名が並ぶワケ 青森県南東部の太平洋岸にある
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八戸(はちのへ) (青森県八戸市)
   青森県八戸のまわりに一戸から九戸までの地名が並ぶワケ
 
 青森県南東部の太平洋岸にある市の名前が「八戸」である。
 さらに、南部に下って隣県を見てみると、岩手県内陸部には一戸(町)という地名があり、北に位置して二戸(市)がある。
 そして、県境を越えてさらに北上すると、三戸(町)、五戸(町)、六戸(町)、七戸(町)という地名がほぼ一列に並ぶ。ところが、九戸(村)は南に下って一戸の東側の岩手県内にあるのだ。
 四戸だけは欠けているが、三戸と五戸のあいだの距離が少し長いので、おそらくここにその地名はあっただろうといわれている。
 それにしても、こう規則正しく並んでいると「戸」にはいったいどんな意味があるのか、疑問がわく。しかし、研究は古くからおこなわれているものの、これといった答えが得られたとはいいがたい。
 鎌倉幕府の記録である『吾妻鏡』に、「陸む奥つの国くに糠郡ぬかのぶ~戸」と記録されているのが、この地名の初出だ。糠部というのは、東北地方に設けられた郡だが、「糠」という字から馬に関わりがあるのではないかという説が唱えられている。馬に食べさせる「米ぬか」を指すと思われるからだ。
 これは、馬産地として知られたこのあたりに、源頼朝が新しい郡を置き、九つに分けて牧場としたという説だ。また、中世の支配者だった南部氏が、牧場を柵で区切ったときの境のことだという説もある。
 ただ、平安時代末期にはすでにあった地名だということから、九世紀はじめに先住民の蝦夷えみしを北へ追いやった大和政権の文ふん室やの綿わた麻ま呂ろが駐屯地に木戸を設け、中に民家を建てて柵戸とした名な残ごりという説もあるようだ。
 さらに、蝦夷との関わりから、アイヌ語に原形があるとする説もある。川を意味するアイヌ語が変形して「ヘ」となり、それに「戸」の字をあてたというのだ。
 蝦夷が川の流域ごとに分けた地域に、和人が自分たちのもつ言葉の番号をふったということで、これは「戸」を「こ」や「と」と発音しないことの説明にもなっている。
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