返回首页

千代田(ちよだ)

时间: 2025-03-11    进入日语论坛
核心提示:千代田(ちよだ) (東京都千代田区)   江戸城の別名「千代田城」は、太田道灌が地元の村名から採用 江戸の繁栄の名残は、か
(单词翻译:双击或拖选)
 千代田(ちよだ) (東京都千代田区)
   江戸城の別名「千代田城」は、太田道灌が地元の村名から採用
 
 江戸の繁栄の名残は、かつての将軍のお膝元では多くの場所にみることができる。なかでも、現在でも丸の内、霞が関、永田町、皇居、大手町、有楽町と、日本にとって重要な多くの機能が集まっているのが、千代田区である。
 ところで、その地名の由来だが、これはもちろん江戸時代からで、江戸城の別名「千代田城」からきているのだという。たしかに現在の千代田区の区域は、かつての江戸城の外郭をなす一帯に、ほぼ一致している。
 麹こうじ町や神田も、かつては独立した区であったが、終戦で焼け野原になってしまい、かつて二〇万人もあった人口が、三万人にまで落ち込んでいた。
 そこで、区の整理統合がおこなわれることになり、一九四七(昭和二十二)年に、麹町区と神田区は、ほかの統合区の問題をよそに、すんなりと千代田区に統合されたのである。
 というのも、当時は三五区に分かれており、それを一二区、もしくは二五区にするという案があった。結局、審議を重ねて二二区案が可決されるのだが、どこの地区も新しく統合される区名を決めるのに喧けん々けん囂ごう々ごう。
 合併する両者がどちらも譲らず、もめにもめている区が多かったのだが、もともとが千代田城下ということで意思決定がされている千代田区・麹町区・神田区の統合は、「千代田」ということで早々に決まっていたという。
 なお、千代田城になる前の、千代田という名前の由来は、築城に適した土地を探していた太田道灌が、候補に選んだ三つの村の名前のなかから「末々繁昌疑ひなし」と考えて採用されたという(『御ご府ふ内ない備び考こう』より)。村名の由来は定かではないが、「千代つづく田んぼ」という意味なのだろうか。この地はいまもなお、日本の中枢として息づいている。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(10)
100%
踩一下
(0)
0%

热门TAG: