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由比ガ浜(ゆいガはま)

时间: 2025-03-11    进入日语论坛
核心提示:由比ガ浜(ゆいガはま) (神奈川県鎌倉市)   相互に助け合う「結」を組織し、漁業に従事した由比郷の浜 鎌倉市の海水浴場で
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由比ガ浜(ゆいガはま) (神奈川県鎌倉市)
   相互に助け合う「結」を組織し、漁業に従事した由比郷の浜
 
 鎌倉市の海水浴場である「由比ガ浜」は、現在は、相模さがみ湾に面した海岸の一部のことをいうが、かつては西の稲村ヶ崎から、東の材ざい木もく座ざ海岸までを指していた。
 地名として史料に見ることができるのは、『吾妻鏡』一一八〇(治承四)年の条で、源頼義が石いわ清し水みず八はち幡まん宮ぐうを勧かん請じようしたことを記したときのものだ。これが、のちに頼朝が鎌倉にゆかりを感じて幕府を開く遠因となるのだが、当時の鎌倉はひなびた漁村でしかなかった。
『吾妻鏡』は由比郷と記述してはいるものの、古代の律令制のもとで定められた名前ではなかったらしい。『吾妻鏡』が書かれた時代に、便宜的に郷を付けたと考えられている。
 史料によっては由比を「由井」「由伊」「湯井」などと表記したものもあり、「ゆい」の地名にさまざまな字があてられていたことがわかる。
 古代における地名の由来は、たいていが自然発生的な地形によるもの、あるいは状況変化や環境変化によって引き起こされた大小の出来事といったものが多い。その点で由比ガ浜の命名はまさに変化球といえる。
「ゆい」は労働者が互いに助け合う仕組み、組織のことを「結ゆい」といっていたことがもとだ。ここの海岸で漁業に従事する労働者たちが、助け合って収穫していたことで「結のある浜」が、由比ガ浜という名称になったのである。
 鎌倉時代は、海岸は武術の訓練場になったり、平家落おち人うどの首実検や罪人の処刑の場、あるいは死者の埋葬場に使われるなど生々しい歴史も秘めている。だが、明治時代以降、海水浴場としてにぎわいを見せるようになったこの海岸に、その影も形もなくなっているのはいうまでもない。
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