錦江湾(きんこうわん) (鹿児島県鹿児島市)
島津家久が詠んだ和歌にちなんで名付けられた?
「錦江湾」は、鹿児島湾の別名である。薩摩半島と大おお隅すみ半島に挟まれて深く入り込み、さらには桜島が突起していて、地図だけで見るとけっして美しい地形とはいいがたい。
ところが、この湾の内側、鹿児島市内から眺めた半島、島、海がつくり出す光景は、特筆すべきものらしい。島津氏第十八代家久が湾を眺めたときに詠んだ歌が、鹿児島湾に錦江湾という別名を与えることになったというのだ。
その歌は、「浪のおりかくる錦は磯山の 梢にさらす花の色かな」というもの。これは家久が、懇意にしていた僧・鳳山が結んでいた黒川近くにある庵を訪ねたとき、庵から見た光景を歌にしたものだという。
ところが、この歌にちなんだ命名という説に、多くの疑問が投げかけられているのだ。
まず、誰もが気付くのは、「錦」の文字はあるが「江」の文字は歌には使われていないという点だ。歌にちなむ命名という以上、歌のなかの言葉や文字を使うのがごく当然だからだ。
「江」は、揚よう子す江こうなどのように、大河に使われるもの。「浪」の文字があるから目の前の海を見て詠んだ歌のようだが、庵のあった黒川を指す可能性もある。しかし、黒川は小川にすぎず、「江」は似つかわしくない。
また、「江に洗う錦」という用例があることから、錦の文字につられて「浪」を「江」に転じて使ったとも考えられなくはない。すると「錦」のほうが主役になるのだが、果たして庵に「錦」にあたるものがあったのかという疑問が生じる。
錦というと、ふつうは紅葉のことだが、花と歌っているからには桜や椿かもしれない。ことに椿に関しては「錦」という園芸品種もある。これだけでは、庵の庭の椿が湾に映ったかどうか、湾の干拓も進んだいま、確認は不可能なのである。
このように、次々にわいてくる矛盾で、まさに研究書が一冊書けるくらいである。