青ヶ島(あおヶがしま) (東京都青ヶ島村)
その昔は、男性だけが住んだ男ヶ島だった
親島である八丈島のことを古来、「女によ護ごヶが島しま」といい、「青ヶ島」のことを「男おヶが島しま」というが、これは「徐じよ福ふく伝説」に由来している。
この伝説は、仙術をおこなう徐福が、紀元前二一九年、秦しんの始皇帝の命令を受け、不老不死の良薬を求めて、男女五〇〇人ずつを船に乗り込ませて船出をしたのだという。
ところが、船は途中で難破してしまう。そして、徐福は紀州の熊野地方へ逃れ、五〇〇人の女たちを乗せた船は八丈島に漂着し、一方、男たちを乗せた船は、青ヶ島に到着したという。
それ以来、八丈島には「女護ヶ島」という名が付き、青ヶ島には「男ヶ島」という名が付いたのだという。
ただし、男女が一緒に住んでしまうと、海神の祟たたりがあるというので、漂着したそのままに、男女は二島に分かれて暮らした。
そして、一年にたった一度だけ、温かい南風が吹いたときに、女護ヶ島の女たちは、自分でつくったわらぞうりに印を付けて浜辺に並べ、男ヶ島の男たちを待った。
それから、自分の印が付いたぞうりをはいた男たちを一いち夜や夫づまと呼び、招き入れたのである。
そして、男の子が生まれると青ヶ島へ送り、女の子が生まれると女護ヶ島に残したという。これは、司し馬ば遷せんの『史記』にちなんだ伝説である。
八丈島には、こんな男と女のドラマティックな伝説があったのである。