自分が養子であると聞かされたのは29歳の時だった。「ごめんね、お母さん子供ができなくて…」と母は泣いた。隣で父も泣いていた。その時私はまだ結婚もしていなかったけれど、同じ女性として子供ができなかった母の辛さを理解することぐらいはできた。そして何より初めて見た父の涙を前に、私は何も言葉を返すことができなかった。
「どうしてもっと早く言ってくれなかったの?」、「今までずっと私を騙していたの?」泣いて叫んで両親を責めたかったが、そんな気持ちを彼らにぶつけることもできず、私は突然知らされた重い事実を一人背負って生きていくことになった。
とても悲しいことだが、あの日を境に、両親に対する無条件で絶対的な信頼とでも言うべきものが崩れてしまったように思う。だがその一方で、自分も親となり、子育てを経験した今、両親が自分のためにしてくれたことを思い出すと感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。こんな矛盾した感情を、8年たった今も自分の中で整理できないでいる。
私のこの感情がすっかり消えて無くなることは無いだろう。しかしこの感情も、時とともに形を変えていくのではないかと思えるようになってきた。私たちは血のつながった本当の親子ではなかったけれど、それでも私が親と呼べる人は彼らしかいないし、父や母が一生懸命働いて私を育ててくれた事実が変わることは無い。
夏祭りの夜、母が贈ってくれた甚平を息子に着せながら、母が嬉しそうに息子の甚平を選ぶ姿を思い浮かべた。何も知らず、はじめての甚平を着てご機嫌に笑う息子を抱きしめ、私は頬をつたう涙をぬぐった。