「ななちゃんならできるよ」と言われ続けた日々、私はママのまっすぐな愛情を押し付けと思い込み、当たり前のように高校卒業後、家を飛び出し夢のため、上京した。
私が家を離れた後、愛するものの不在の日々、優しいパパもママの孤独を埋めることができず、北海道の田舎町で生きがいをなくしたママの寂しさをあの頃の私がわかるはずもなく、私は自分に精一杯だった。
そんな中、ママが始めたのが地元の海の清掃。たった一人で始めた活動は、やがて優しい人たちを集め、地域から認められ、地元の小学校で講演をしたり、道内のボランテイアイベントに呼ばれるようになった。
そして、今年でちょうど10年。ママが率いるボランテイア団体「蒼い海」は、全国の大きな賞をもらった。
東京での表彰式に、私はママと参加した。壇上で賞状をもらうママの笑顔は、輝いていた。
その後二人で大好きなエビスビールを飲みながら私は、「なんで海の清掃を始めたの?」と聞いた。
ママは照れくさそうに、「ななちゃんが疲れて故郷に戻ってきた時、きれいな海を見て癒されて、また羽ばたけるように。」と言った。
いつだって、ママの根源には私がいて、それでも自分の道を切り開き歩むことを選んだママ。
30才を過ぎても未だ夢を追い続ける私に、ママは言葉でなく、行動で語りかけてくれていたんだ。
「ななちゃんなら、できるよ。」と。
大きな愛に守られながら、この人に負けないようにがんばらなきゃ、と思わせてくれる母親を持つ私は、なんて幸せな娘なんだろう。