そんな時、父は決まってこう言うのである。
「学校の、校の字を見てごらん。父という漢字があるだろう。学校のなかに、お父さんがいる。だから、元気で学校に行くんだ。」
父は、教師だ。
私が朝起きる前に仕事に行き、夜寝てから帰ってくる。
だから 子どもの時は、父と遊んだ記憶がほとんどない。
父は、早い話が出世の早い人だった。34歳で学級担任を外れ管理職に。そして49歳という若さで校長試験に合格。
しかし、父の思いとは裏腹に、校長として学校現場に入ったのは試験合格の数年後だったという。
その時私は気付いたのである。
「学校のなかに、お父さんがいる。」
しかし学校の校の字には、父の上に「鍋蓋」があることを。
私の胸はぎゅっと苦しくなった。
父は学級担任として、もっと子どもに教えたいことがあったのではないか。
校長として学校のために早く働きたかったのではないか。
その熱い思いを、重く冷たい鍋蓋で抑圧され、息苦しくなっていたのではないだろうか。
しかし父は絶対に不平を漏らさない。人と接する時はいつも笑顔だ。
花に水をやりご飯を作り、家族への優しさを忘れない。
そんな父の背中を見て、わたしも教師になった。
「自分がされて嫌なことは、人にしてはいけない。」
「周りの人に感謝しなさい。自分一人では生きていけないのだから。」
いつしかわたしは、父に何度も言われていた言葉を、子どもたちに話していた。
やはり、
「学校のなかに、お父さんがいる。」
めんどくさがりで人見知りのわたしは、眠たい目をこすりながら今日も学校へ行く。