3時間後、32針縫い手術は終わった。「安静にしてね」と言われたけど心細くて彼氏に会いにいった。足が引きつりうまく歩けなかった。突然のことに彼は困った顔をして、私も無理して笑った。
翌日の夜。大阪にいる母にメールで連絡した。「たいしたことないけど32針縫った。先生に連絡しときなさいって言われたから一応報告だけ」。不注意を怒られるかなとびくびくしていたらすぐに返信が来た。一言「明日、東京に行く」。私を責めない短い文と、返信の早さに母の心配が伝わった。怪我をしてからずっと心細かった。ひどい傷口を見せることになっても、わがままを言うことになったとしても、母が近くにいたのであれば真っ先に連絡をとったと思う。暗く静かな病室で、甘えたかったのは母だけだった。
母に会うと元気が出た。甘え過ぎて、些細なことで喧嘩になった。別れ際母は「お母さん、帰るね。あんたが心配で来ただけやから。顔見れてもう目的達成できたし。」と寂しそうだった。
母を見送り電車に乗った。窓から新幹線が見えた。母はどんな思いで乗っているのか。遠いと素直に甘えられなくて、近いと甘えすぎてしまう。後味の悪さに自分を責め、涙が止まらなかった。
その日から4年たち、足首の傷には慣れてしまった。傷の痛みももう思い出せない。ただ、母の寂しそうな顔を思い出しては、未だに胸が痛む。