春秋時代のはじめごろ、斉に住んでいた管仲(かんちゅう)と鮑叔牙(ほうしゅくが)は、若いころからお互いの才能を認め合う親友でした。やがて二人は長じてそれぞれ別の公子に仕えるようになりました。ところが、内乱が起こり、鮑叔牙が仕えていた公子が位に就いて斉の桓公(かんこう)となり、その命をねらったとして管仲が首をはねられそうになります。
しかし、鮑叔牙は管仲との友情を忘れず、また彼の能力を知っていたので、桓公に助命を願い出ます?桓公は信頼する臣下?鮑叔牙の意見を容れて管仲を許し召抱えます?その後、管仲は手腕をいかんなく発揮し、斉は他の諸侯に先駆けて覇(は)を唱えました。
◆九牛の一毛
これは『史記』の編者である司馬遷(しばせん)のことばで、しかもチンポコを切り取られるという刑罰(官刑)に関わりがあるといいますから驚きます?
司馬遷(前145~86年)は?知人の李稜(りりょう)が匈奴討伐に敗れ降伏したとき、ひとり彼を弁護したためにこの刑を受けることとなりました。この恥辱の刑を受けた者の多くは自殺してしまうほどのものでしたから、遷も一時は自殺を考えました?しかし、「世間の人は、私に対する処刑など九牛の一毛くらいにしか感じていないだろう」と思い直し?その後も生き長らえ?中国で最初の紀伝体史書『史記』を完成させたのでした?
◆牛耳を執(と)る
「牛耳(ぎゅうじ)る」とも言いますが?ことばのイメージからは、牛の耳を引っ張りまわすように強引にリードするというふうな意味にとられがちです?たしかに仲間の上に立って思うままに指図するという意味に使われますが?実はこのことばは、古代中国で同盟の誓いを立てる場合に?盟主となる者がいちばん先に牛の耳を裂いて血をすすったことに由来します?決して牛の耳を引っ張るわけではないのです。