弟が東京の有名大学に行きたいと言った時、父は考え込んでしまいました。行かせてやりたいのですが、町役場に勤める父の給料だけでは無理。でも「駄目だ」と言っても、聞かないだろうから、受けて落ちれば、あきらめるだろうと受けさせたのが「スネカジル」になってしまいました。
まあ、②やれるところまでやってみるかと奨学金やらバイトをし、それでも足りない分は家からの送金でした。父母は大変苦労したようです。やっと卒業、就職先も決まった時、突然、弟は亡くなってしまいました。 何年か後、私は父に「あんなに苦労して大学に行かせてやったのに、弟は親不孝者だ」と言ったことがあります。
その時、父は「自分は1歳の時に父が亡くなり、貧乏だった。学校へ行きたかったが、帳面や鉛筆も買ってもらえなかった。あの子は勉強が大好きだった。いつも板(机)にくっつていると、あだ名はかまぼこだったそうだ。勉強をさせてやれて良かった」と言いました。
そして、墓の周りに弟が好きだったフリージアを植えていました。今、近所の家の庭先にフリージアが咲いています。この花を見ると、父のこと、弟のことを思い出します。
練習問題
1、文中の①「こんな電文」とはどんな電文か。
スネカジル
やっと卒業したこと
東京の大学に合格したこと
突然、弟がなくなってしまったこと
2、文中の②「やれるところまで」の「まで」と同じ使い方のものはどれか。
わざわざ行くまでもないでしょう。
高ければ買わないまでのことだ。
年寄りまで一生懸命勉強している。
夏休みが終わるまでにレポートを書いてしまおうと思っている。
3、弟が東京の大学に入りたいと言ったとき、父はどういう気持ちだったか。
弟がどうしても入りたいので、やはり試験を受けさせたほうがいいと思った。
弟と同じ考えで、やはり東京の有名な大学で勉強させたほうがいいと思った。
行かせたくても無理だと分かって、弟の失敗を待つしかないと思った。
自分の給料では行かせないので、やめさせるつもりだった。