そのタブーを破るきっかけになったのは、第二次世界大戦による「人間性の限界」の体験がある。ナチス(注2)・ドイツが、六百万のユダヤ人(注3)を虐殺(ぎゃくさつ)したことは、周知のように世界に衝撃を与えた。しかし、哲学.思想史的に重要なのは、大量虐殺という「客観的事実」そのものよりも、それが単なる「動物的な野蛮」のなせる業ではなく、特定の「人間」観から体系的に導かれる帰結だったということである。
ナチスの「人間」観というのは、アーリア人(ゲルマン民族)をもっとも優秀で「人間らしい」人間と規定し、それからもっとも遠いとされるユダヤ人は劣等人種であり、人類に害をなす害虫と見なすものだった。したがって、ユダヤ人を絶滅=排除することは、「人類=人間性」の健全な発展を図るためにアーリア人に与えられた世界史的使命ということになる。ナチスは、そうした積極的にかかわることを、「ヒューマニズム」と呼ぶとすれば、ナチスは間違いなく「ヒューマニズム」である(略)
(注1)タブー:社会的に厳しく禁じされる特定の行為。
(注2)ナチス:ナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)の通称。
(注3)ユダヤ人:ユダヤ教徒を、キリスト教の側から別人種と見なして呼ぶ称。
「問い」「「人間性の限界」の体験」とあるが、その説明として適当なものはどれか
1 ナチス・ドイツが、六百万人のユダヤ人を虐殺したこと
2 双方が人間主義の旗を掲げて第二次世界大戦を起こしたこと
3 特定の「人間」観から、それに適合しない人間を排除する行為が起こったこと
4 地球上から、人種差別や民族差別がいつまでもなくならないこと
「問い」「ヒューマニズム」の意味について筆者はどう考えるか
1 人間中心主義
2 人間性の限界
3 人間中心主義の批判
4 人種差別や民族差別に対しての批判
「問い」筆者は言っていないことはどれか
1 ナチス・ドイツが、六百万人のユダヤ人を虐殺したことは「動物的な野蛮」行為とも言える
2 ナチスの「人間」観というのはユダヤ人を排除すること
3 「人間」中心主義批判という発想は一般常識に合わない
4 「人間」の価値を疑うことは第二次世界大戦から禁止されないようになる
現代思想の中心的なテーマのひとつに、「人間」中心主義批判というのがある。いうまでもなく、これはかなり一般常識に反した発想である。どんな自明の理でも疑うことを特性とする哲学の世界でも、「人間」の価値を疑うことは長い間タブー(注1)であった。