消えた少年
すると、大木のみきのうしろから、さっきのカニ売りのじいさんが、すばやく変身をして、にやにやわらいながらあらわれ、いきなり井上君のそばによると、両手で井上君のからだを、グルグルまわしはじめました。
すると、どこからともなく、白いあわのような、けむりのようなものが、とんできて、井上君の顔のまわりを、つつみます。目がまわって、いまにも、たおれそうです。
「さあ、これでよし。きみは消えたんだよ。」
じいさんが、いいました。
井上君は、おもわず、じぶんのからだをながめましたが、消えてはいません。手でさわってみても、顔も、胸も、腹も、足も、ちゃんとあるのです。
「消えちゃいないよ。」
井上君が、そういいますと、じいさんは、わらいだして、
「アハハハ……、じぶんには見えるんだよ。だが、ほかの人には見えないのだ、わしにも見えない。しかし、わしが見えないといっても、きみは信用しないだろうね。……あ、いいことがある。むこうから、さっきの子どもたちがやってきた。わしが、いつまでも、もどらないものだから、さがしにきたんだよ。あの子どもたちに、きみの姿が見えるかどうか、ためしてみるがいい。」
さっきカニ売りじいさんをかこんでいた、十数人の子どもたちが、森の中へかけこんでくるのが見えました。
「やあ、おじいさんは、あそこにいるよ。」
「おじいさん、さっきのカニ、どうした。」
子どもたちは、口々に、なにかさけびながら、近づいてきました。
「みんな、こっちへおいで、いいもの見せてあげるよ。」
じいさんが手まねきすると、みんなは、そのまわりへ、かけよってきました。
井上一郎少年の立っているそばを、子どもたちは、とおりすぎていくのです。しかし、だれも井上君に気づいたものはないようです。井上君のからだと、すれすれに走っていきます。井上君が見えれば、もっとはなれたところをとおるはずなのに、いまにもぶっつかりそうになるのです。
あっ、とうとう、ぶっつかりました。
小学校三年ぐらいの小さい子どもなので、大きなからだの井上君にぶっつかると、ころんでしまいました。
「あ、いたいっ。」
といいながら、みょうな顔をして、おきあがりました。どうしてころんだのか、わけがわからないらしいのです。
「
六年生ぐらいの大きい少年が、たおれた子どもをだきおこしながら、ききました。
「なにかに、ぶっつかったんだよ。」
「ぶっつかるものなんて、なんにもないじゃないか。つまずくものもないよ。」
「空気にぶっつかったんだよ。」
正ちゃんが、へんなことをいいました。
「ばかだな。空気にぶっつかるやつがあるもんか。」
大きい少年は、そういって、じょうだんのように、手をふりまわして、そのへんに、なにもないことを、たしかめるまねをしました。
「あっ、いたいっ。」
その手のさきが、ぶっつかったのです。空気の中に、なにかかたいものがあったのです。
井上一郎君はびっくりして、身をよけました。大きいほうの少年の手は井上君の肩にあたったのでした。少年は、へんな顔をして、そのへんをキョロキョロと、見まわしています。井上君の姿が、すこしも見えないらしいのです。
「おおい、みんなここへきてごらん。空気の中になんだか、かたいものがあるんだよ。」
五―六人の少年が、あつまってきました。井上君は、またぶっつかってはいけないとおもって、二メートルほど、横に身をよけましたが、少年たちは、井上君のほうを見ようともしません。
「どうしたの?」
さっきの大きい少年を、とりかこんで、みんながたずねます。
「ここだよ。ぼくが、手をふりまわしたら、なにかにぶっつかったんだよ。かたいものだ。しかし、なんにもありやしない。空気ばかりだよ。」
「このへんかい。」
二―三人の少年が、そういって、両手をグルグル、ふりまわしました。井上君はそれを見ると、おどろいて、いっそう遠くへ身をよけましたので、こんどは、なにもぶっつかるものはありません。
「きっと、きみの気のせいだよ。空気にぶっつかるはずはないもの。」
「ほら、なんともないよ。なんにもぶっつからないよ。」
少年たちは、手をふりまわして、そのへんを、歩きまわりながら、口々に、いうのでした。
井上君はおかしくなってきました。小さいころ、かくれみのの童話を読んだことがありますが、いま井上君は、かくれみのを着たのとおなじなのです。いたずらがしてみたくなりました。
「アハハハハ……。」
いきなり、わらってみました。少年たちは、びっくりして、キョロキョロあたりを見まわしています。
「だれだい、いまわらったのは?」
「だれも、わらわないよ。」
「でも、わらい声がきこえたじゃないか。」
「うん、きこえた。おじいさんじゃないだろうね。」
「おじいさんの声じゃない。子どもの声だったよ。」
「そうだな。へんだねえ。」
井上君はおもしろくてたまりません。こんどは、ひとりの少年にちかづいて、指で、その顔をチョイと、つついてみました。
「だれだっ、いま、ぼくの顔にさわったのは?」
みんな、シーンとして、身動きもしません。だれもさわったおぼえがないからです。なんだか、こわくなってきました。
「この森には、魔物がいるのかもしれないよ。」
少年のひとりが、わざとひくい声で、おそろしそうにいいました。
「わあ、魔物だあ……。」
だれかが、さけびながら、かけだしました。すると、みんなも、そのあとについてかけだすのです。
「おい、カニ売りじいさんがあやしいよ。あれも魔物かもしれないぜ。」
ひとりが、はしりながら、息をはずませていいました。
それをきくと、みんなは、いっそうこわくなり、「ワーッ。」とさけび声をたてて、走るのでした。