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六 凶行の現場_ABC殺人事件(ABC谋杀案)_阿加莎·克里斯蒂作品集_日语阅读_日语学习网

时间: 2024-10-24    作者: destoon    进入日语论坛
核心提示:  六 凶行の現場  惨劇の起こった通りは、表通りからそれたところだった。アッシャー夫人の店は、その中ほどの、右側にあっ
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  六 凶行の現場
  惨劇の起こった通りは、表通りからそれたところだった。アッシャー夫人の店は、その中ほどの、右側にあった。
  その通りへ曲がると、ポワロは、ちらっと腕時計を見た。それで、わたしは、いままで、凶行の現場へ行くのを、かれがのばしていたわけがわかった。ちょうど、五時半だった。かれは、できるだけ、きのうの情況を再現しようと望んでいたのだ。
  ところが、それがかれの意図だったとすれば、それは失敗だった。疑いもなく、いま、その通りの様子は、きのうの夕方の情況とは、まるきり似ても似つかないものだった。あたりには、ごく貧しい階級の家々の間に、小さな商店が何軒か、ところどころに目についた。いつもなら、かなりの人々が――たいていは、貧しい階級の人々がいそがしげに通りを往ゆ き交か い、舗道や車道では、あっちにもこっちにも、子供たちが遊んでいるのだろうなと、わたしは考えた。
  ところが、その時は、一団の人々が立ちどまって、その一軒の家というか、その店を、じろじろと見ていたので、どこだろうと頭をめぐらすこともないほどすぐにわかってしまった。わたしたちの目にしたのは、一人のよその人間が殺された場所を、強烈な興味をもって眺なが めている世間一般の人間の一団だった。
  近づいてみると、まったくそのとおりだということがわかった。いまは店をしめている、うすぎたない小店の前には、困りきった顔つきの若い巡査が立っていて、「さっさと向こうへ行っちまえ」と、無神経にどなっていた。同僚の手をかりて、人々を追っ払った――かなりの数の人々が、いやいやながらため息をついて、自分自分の平常の仕事に帰って行った。
  すると、ほとんどすぐに、ほかの人たちがやって来て、かわってその場に立って、殺人が行われた場所を腹いっぱいに眺めるのだった。
  ポワロは、群集の中心から、ちょっと離れたところに立ちどまった。わたしたちが立っているところから、ドアに書いた文字がはっきり読みとることができた。ポワロは、小声でそれを繰り返した。
  「A?アッシャー。そうだ、ことによると――」かれは、後をいうのをやめた。
  「さあ、中へはいってみよう、ヘイスティングズ」わたしは、早くはいろうと、待ちかまえていたところだった。
  わたしたちは、群集をかきわけて行って、若い巡査に話しかけた。ポワロは、警部からもらっていた身元証明書を取り出して見せた。巡査はうなずいて、ドアの鍵をあけて、わたしたちを中に入れた。わたしたちは、見物人たちの強い好奇心の目の中をはいって行った。
  わたしは、身のまわりを見まわした。
  うすぎたない、狭い場所だ。すこしばかりの安雑誌が散らばり、きのうの新聞には――一日分のほこりがたまっていた。カウンターのうしろには、天井までとどく棚がならんでいて、刻み煙草や巻煙草の包みが、いっぱいに詰まっている。ペパーミント入りの砂糖菓子や、飴あめ 菓子のはいっている瓶もあった。ありふれた小さな店で、どこにも何千とあるような店だった。
  巡査は、のろのろとしたハンプシャーなまりで、現場の状況を説明して聞かせた。
  「そのカウンターのうしろに、へたへたと倒れたようにして、かの女はいました。医師の話では、ぶん殴られるのを知らなかったにちがいないということでした。きっと、どの棚かに手をのばしたところだったにちがいありません」「手には、なんにも持っていなかったんですね?」「持っていませんでした。しかし、そばに『プレイヤーズ』の包みが一つ落ちていました」ポワロはうなずいた。その目は、狭い場所をぐるっと見まわし――目をそそいでいた。
  「それで、鉄道案内のあったのは――どこです?」「ここです」巡査は、カウンターの上の、一点をさした。「アンドーバーのある、そのページをあけて、伏せておいてありました。ロンドン行きの列車を調べていたにちがいないとでもいうようなふうで。そうとすれば、まったくアンドーバーの人間ではなかったということです。しかしまた一方では、もちろん、その鉄道案内は、殺人とは全然関係のない、誰かほかの人間のもので、ただ、ここへ忘れて行っただけのものかもしれません」「指紋は?」と、わたしは、いってみた。
  相手は、首を振って、
  「すぐに、この場所を全部調べてみました。なんにもありませんでした」「カウンターその物の上にもなかったのですか?」と、ポワロがたずねた。
  「よく見れば見るほど、多すぎるのです! みんな、いっしょで、ごちゃごちゃになってしまっているのです」
  「アッシャーのも、その中にありましたか?」「まだ、なんともいえません」
  ポワロは、うなずいてから、死んだ婦人は、店の奥に住んでいたのか、と、たずねた。
  「そうです。奥のドアを通って、おいでになれます。ごいっしょに行けばよろしいのですが、わたしは、ここにいなければなりませんので――」ポワロは、問題のドアを通ってはいって行った。わたしも、その後について行った。店の奥は、ごくごく狭い居間とでもいうようなもので、台所がついている――こざっぱりと清潔ではあるが、ひどく陰気で、家具もほんのわずかしかなかった。暖炉の上には、数枚の写真が飾ってある。わたしがそばへ寄って見ていると、ポワロも寄って来た。
  写真は、全部で三枚あった。一枚は、その日の午後、わたしたちが会った娘の、メアリー?ドローワーの安っぽい肖像だった。かの女は、一番いい着物を着ていることが一見してわかった。そして、こうしたよそ行きの姿勢をした写真では、しばしば表情を台なしにしてしまって、スナップ写真の方がむしろいいと思わせるような、意識しすぎた、ぎごちない微笑を、その顔に浮かべている。
  二番目のは、もっと高価な型の写真で――わざとらしく不鮮明にした、白髪の、かなりの年輩の婦人の、複製のものだ。毛皮の襟えり が、頸くび のまわりに高く立っている。
  これは、おそらく、アッシャー夫人に遺産を残してくれたおかげで、かの女が商売をはじめられるようになったという、ミス?ローズのだろうと、わたしは思った。
  三番目のは、非常に古いもので、いまでは褪色たいしょく して、黄色くなっている。若い男と女とが、いくらか旧式な服装をして、腕を組み合って立っている写真だ。男は、ボタン穴に花をさして、全体の様子に、過去のお祝いごとという感じがある。
  「おそらく、結婚式の記念写真だろうね」と、ポワロはいった。「見てみたまえ、ヘイスティングズ、かの女は、かつては美人だったと、わたしがいったろう?」かれのいうとおりだった。時代おくれの髪型と、おかしな服装のせいで、幾分損をしてはいるが、目鼻立ちのはっきりした容貌ようぼう と、元気いっぱいな態度とは、この写真の娘の美しさを間違いなくあらわしている。わたしは、もう一人の人物をよく見た。この軍人らしい態度の、スマートな青年の姿の中に、あのみすぼらしいアッシャーを認めることは、ほとんど不可能だった。
  わたしは、あの流し目で見る、酔っぱらいの老人と、弱り切って、苦労にやつれた、死んだ婦人の顔とを思い出した――そして、時というものの無慈悲さに、いささか、ぞっと寒気をおぼえた……
  居間からは、二階の二つの部屋に、階段が通じていた。一つの方の部屋は、からっぽで、家具もなかったが、もう一つの部屋は、明らかに、死んだ婦人の寝室だった。警察が取調べをした後、そのままになっていた。ベッドの上には、古い、すり切れた毛布が二枚――一つの引出しには、よくつぎのあたった下着がすこしばかり――もう一つの引出しには、調理法を書いたもの――「緑のァ、シス」という題の紙装本――新しい靴下くつした が一足――安光りがしていたましい――陶器の飾り物が一対いっつい ――ひどくこわれた、ドレスデン焼きの羊飼いと、青と黄のぶちの犬と――木釘きくぎ にかかっている、黒のレインコートと、毛のジャンパー――こういったものが、故アリス?アッシャーの、この世においての財産だった。
  なにか一身上に関係した書類でもあったとしても、警察で持って行ってしまったろう。
  「気の毒な女だね」と、ポワロは口の中でつぶやくようにいった。「さあ、ヘイスティングズ、ここには、もうなにもないよ」
  わたしたちが再び通りへ出ると、かれは、一、二分、ためらっていたが、やがて、道をわたった。ほとんどアッシャー夫人の店のま向かいに、八百屋やおや の店が――店内よりも、たいていの品物が店先に並んでいるといった種類の店があった。
  低い声で、ポワロは、わたしにある指示を与えた。それから、かれは、その店へはいって行った。一、二分、待っていてから、わたしは、かれの後から店へはいって行った。かれは、レタスを買おうとして値段の話をしているところだった。わたし自身は、苺いちご を一ポンド買った。
  ポワロは、相手になっている肥ふと ったおかみさんと、元気よく話をしていた。
  「お宅のま向かいだったんですね、殺人事件があったというのは? えらいことでしたね! びっくりなすったでしょうな!」
  肥ったおかみさんは、いかにも人殺しの話にうんざりしているようだった。きっと、その話で、一日がきりがないような気がしていたのにちがいない。かの女は、いった。
  「あのぽかんと見ている人たちも、いっそのこと片づけてくれるといいんですがね。いったい、なにを見るものがあるんでしょうね?」
  「ゆうべは、きっと、とても違っていたでしょうね」と、ポワロはいった。「たぶん、あんたは、犯人が店へはいって行くのを見かけたんでしょう――背の高い、ひげをはやした、金髪の男じゃなかったんですか? ロシア人だとかって、聞いたけども」「なんですって?」女は、きっと目をあげた。「ロシア人がやったんですって?」「警察が逮捕したとかって聞きましたがね」
  「ほんとですか?」女は、興奮して、口が軽くなった。「外国人がね」「そうですよ。わたしは、あなたがゆうべ、たぶん、その男に気がついたかもしれないと思っていたんですがね?」
  「さあ、あんまり他人のことに目を向けているひまがないんですよ。それがほんとのとこですよ。夕方というのは、わたしたちの店のいそがしい時間ですからね。いつでも、仕事をすまして家へ帰る人たちが、大勢通りますからね。背の高い、ひげのある、金髪の人ですって――いいえ、そんなふうの人が、そこらへんにいるのを見たとはいえませんね」そこで、わたしがきっかけをつかんで、口を入れた。
  「失礼ですが」と、わたしは、ポワロに向かっていった。「あなたは、間違った話を聞いていらっしゃるように思いますよ。背の高い、髪の黒い男だと、わたしは聞きましたがね」肥ったおかみさんに、痩や せた亭主と、しわがれ声の小僧までが加わって、なかなかおもしろい議論がはじまった。背の低い、髪の黒い男が四人以上も、目についているかと思うと、しわがれ声の小僧は、背の高い、金髪の男は見たが、「ひげはなかった」と、残念そうにつけ加えるというありさまだった。
  やっと、買物がすんで、嘘うそ はそのままにして、わたしたちは、その店を離れた。
  「それで、いったい、あれは、なんの狙ねら いだったのだね、ポワロ?」と、いくぶん咎とが めるように、わたしはたずねた。
  「そうさ、わたしは、見馴みな れない人間が、向かいの店にはいって行くのに気がついたかどうか、あたってみたかったのさ」
  「それなら、ただ簡単に聞けなかったのかい――あんな嘘っぱちをいわないで?」「いいや、あなたモナミ 、きみのいうように、『ただ簡単に聞いて』いれば、全然、わたしの質問に返事なんか得られやしないんですよ。きみ自身もイギリス人だが、だのに、率直な質問に対して反撥するイギリス人の気質というものを、よくのみこんでいないようだね。それはもう誰でもきまって、猜疑心さいぎしん を起こさして、その当然の結果は、沈黙ということになるんだ。もし、わたしがああいう人たちから、なにか情報を得ようとして聞いたとすれば、きっと、連中は、牡蠣かき のように口をとじてしまうだろうよ。ところが、なにか一つ意見を(それも、ちょっと並はずれた、とんでもないことを)いって、そして、きみが反対のことでも、いえば、たちまち、舌がほぐれるんですよ。わたしたちにも、あの特別な時間が『いそがしい時間』だったということはわかっているさ――ということは、誰でも、自分自分のことだけにしか余念のない時間だということも、かなりの人間が舗道を通る時間だということもわかった。われわれの殺人犯人は、うまい時をえらんだというわけだよ、ヘイスティングズ」
  かれは、一息ついてから、強い、咎めるような調子でつけ足した。
  「きみは、常識というものを、まるきり持っていないらしいね、ヘイスティングズ? わたしは、きみにいったろう、『なにか買物をしたまえ』って――そうしたら、きみは、わざわざ苺なんかえらぶんだからね! ほら、もう袋からしみ出して、きみの上等な服を台なしにしかけているじゃないか」
  あっと思ったが、まったくそのとおりだった。
  わたしは、あわてて、その苺を一人の子供にやった。その子供は、ひどく仰天するとともに、いささかけげんそうなふうだった。
  ポワロも、レタスをおまけしてやったので、子供は、すっかり困ったような顔つきをしていた。
  かれは、お説教をつづけた。
  「安物の八百屋では――苺なんか買っちゃだめだよ。苺というものは、摘み立てでなければ、きっともう汁しる が出ることになっているものなんだ。バナナとか――林檎りんご とか――キャベツでもいい――だが、苺は――」
  「しょっぱなに思いついたものだから」と、わたしは、いいわけのつもりで、わけを説明した。
  「それは、きみの想像力がくだらないということなんだよ」と、ポワロは、手きびしくこたえた。
  かれは、舗道に立ちどまった。
  アッシャー夫人の家の右側の家も、店も、空あ き家や になっていた。「貸家」という貼はり紙が、どの窓にも出ている。反対側の家には、ちょっとよごれたモスリンのカーテンがかかっていた。
  その家の方へ、ポワロは進んで行ったが、ベルがないので、つづけざまに、ノッカーではでにドアを叩いた。
  しばらくしてから、鼻をたらした、ひどくきたない子供がドアをあけた。
  「こん晩は」と、ポワロがいった。「お母さんは、おうちかい?」「あい?」と、子供はいった。
  その子供は、むっつりと、ひどく怪しそうに、わたしたちを見つめていた。
  「お母さんだよ」と、ポワロがいった。
  これだけのことが頭へはいるのに、十二秒ほどかかった。やがて、子供は、奥を向いて、「母ちゃん、お客だよ」と、階段の上に向かって、どなってから、うす暗い奥の方へ、ちょっと急ぎ足で引っこんで行った。
  きつい顔つきの女が欄干らんかん ごしに見おろしてから、階段をおり出した。
  「つまらないじゃないか、あんたの時間をむだ使いしたって――」と、かの女がいいかけたのを、ポワロがさえぎった。
  かれは、帽子をぬいで、いともていねいにお辞儀をした。
  「こん晩は、奥さん。わたしは、『イブニング?フリッカー』の記者なんです。あなたに、ぜひ、五ポンドのお礼を受けとっていただきたいと思うんです。それで、なくなったお隣りのアッシャー夫人のことで、記事になるようなことを聞かしていただきたいんですがね」腹立ち声を、その唇くちびる から引っこめてしまって、髪をなでたり、スカートをぐっと引っぱったりしながら、女は、階段をおりて来た。
  「中へおはいりください、どうぞ――左の方へどうぞ。おかけになりません」その小さな部屋は、大きな、まがい物のジャコビン式の家具で、ひどく足の踏み入れようもないほどだったが、わたしたちは、やっとのことで、その中にはいりこんで、固いソファに腰をおろした。
  「ごめんなさいね」と、女はしゃべっていた。「いましがたは、あんなきつい口をきいて、ほんとにすみません。でもね、あなたなんかとてもお信じにならないくらい、片づけなきゃならない厄介事やっかいごと があるんですのよ――いろんな連中が売りに来るんですからね、なんだの、かんだの――真空掃除器そうじき だの、靴下だの、香料入りの袋だの、そんなばかばかしい物をね――しかも、どの人もこの人もみんな、ていねいにもっともらしい口をきくんですのよ。名前だってもね、一度聞けば、すっかりおぼえてしまってね。こちらはファウラー夫人で、あちらがどうとかこうとかといいましてね」抜け目なく、その名前を頭へ入れて、ポワロがいった。
  「ところで、ファウラー夫人、お願いしたことを引き受けてくださいますでしょうね」「知らないんですわ、ほんとに」しかし、誘惑するように五ポンドが、ファウラー夫人の目の前にぶらさがっているのだった。「アッシャー夫人は、ようく知っていましたわ、もちろん、でも、なにか書くってことになると」
  いそいで、ポワロは、安心させるようにいった。かの女の方は、なんにも骨を折るようなことはしなくてもいいのだということ。自分の方から、いろいろ事実をかの女の方から聞き出すようにして、会見の記事は、こちらで書きあげるということを話した。
  それに力を得て、ファウラー夫人は、思い出したことや、当てずっぽうなことや、噂話うわさばなし などを、すすんで話し出した。
  アッシャー夫人は、人とはあまり交際をしない人だった。ほんとに仲がいいというような人もなくて、しかも、心配事が山ほどある、かわいそうな人だということは、誰でも知らない人はなかった。それに、当然、フランツ?アッシャーという男は、ずっと何年も前に、牢屋ろうや にぶちこまれていてもいい男だった。といっても、アッシャー夫人が、あの男をおそれていたというようなことはないので――あの女ひと が怒おこ った時ときたら、ほんとに手に負えぬくらい気が強くなるのだった! いつでも、負けてなんかいないで悪口をいい返したものだった。でも、あんなことになってしまって――いいにしろ悪いにしろ、長くつづけばいいんだけどね。何度も何度も、あの女ひと に、ファウラー夫人が、いったものだった。「いつか、あの男があなたをひどい目にあわせますよ。わたしの言葉をようくおぼえていらっしゃい」と。そして、とうとう、やっちまったじゃないの? そして、かの女、ファウラー夫人は、すぐ隣りにいたのに、物音ひとつ聞こえなかったのだ。
  しばらく間をおいて、ポワロは、やっと、質問をはさんだ。
  アッシャー夫人は、なにか妙な手紙を――きちんとした署名のない――ただABCとかなんとか、そんなサインだけの手紙を、受けとりでもしたようなことがなかったろうか?
  残念そうに、ファウラー夫人は、否定的な返事をした。
  「あなたのおっしゃっているようなことは、わたしも知っていますわ――匿名の手紙といっていますわね――大部分が、大きな声でいえば、恥ずかしくて顔が赤くなるようなことが、いっぱい書いてある手紙でございましょう。ええ、フランツ?アッシャーがそんなものを書いたことがあるかどうか、ほんとに、わたし知りませんわ。もし、あの男が書いたとしても、アッシャー夫人が、わたしなんかにけっしていうはずがありませんわ。なんですって? 鉄道案内ですって、ABCの? いいえ、そんなもの、一度だって、見たこともありませんわ――それに、そうですとも、アッシャー夫人が、そんなものをもらったことがあったのなら、わたしだって、きっと、そのことを聞いていたにちがいありませんわ。わたし、こんどのいきさつを聞いた時、ほんとにびっくりして、もうちょっとで倒れそうだったんですよ。わたしに知らせて来たのは、娘のエディだったんですの。『母ちゃん、お隣りに、とてもたくさんお巡まわ りさんがいるよ』っていうんですの。ほんとに、びっくりさせられちゃいました。それを聞いて、わたしはいったんですよ。『そうだよ。わかるだろう、あの女ひと は、ひとりで家の中にいちゃいけなかったのだよ――あの姪がいっしょにいなくちゃいけなかったのさ。酔っぱらいの男なんてものは、がつがつした狼おおかみ みたいになるもんだからね。野獣ってものは、あの女ひと の亭主の古悪魔と似ったり寄ったりなんだよ』ってね。わたしは、たびたび、あの女ひと に注意したんだけどね。とうとう、わたしのいうことがほんとうになっちまった。『あの男は、あんたをひどい目にあわせるわよ』っていったんだのにね。それだのに、あの男は、あの女ひと をひどい目にあわせてしまった! 男なんて酔っぱらったらなにをするか、誰にも先のことは、ちゃんとわかりゃしないんですからね。この人殺しが、そのいい証拠ですわ」
  かの女は、大きく息を切らして、話をおわった。
  「そのアッシャーという男が店にはいるのを見た者は、誰もなかったんでしょう?」と、ポワロが、いった。
  ファウラー夫人は、相手をばかにしたように、ふんと鼻をならした。
  「あたりまえですよ、あの男が見られるようなことをするものですか」と、かの女はいった。
  どうして、アッシャー氏が、人に見られないようにしてはいりこんだかということは、かの女は、説明してはくれなかった。
  かの女は、あの家には裏口がないということも、この界隈かいわい では、アッシャーの顔を知らない者がないということも認めた。
  「でもね、あの男にしたって、そのためにしばり首になりたくはなかったでしょうからね。
  うまく人の目からかくしちゃったんですよ」
  ポワロは、もうしばらく、話が途切れないようにしていたが、ファウラー夫人が知っていることを、一回どころか、何度も何度も繰り返していっているのだということがわかると、この会見をおわりにして、はじめて約束の金額を払った。
  「五ポンドは高すぎたね、ポワロ」と、通りに出ると、わたしは、思い切って、そういった。
  「あれだけではね、そうだよ」
  「きみは、あの女が、話した以上にもっと知っていると思うんだね?」「きみ、わたしたちは、なにを質問していいかわからないという、妙な位置におかれているんだよ。わたしたちは、暗やみの中で隠れん坊をしている子供たちみたいなものさ。両手をひろげて、暗中を摸索もさく しているのさ。ファウラー夫人は、自分が知っていると思うことを、そっくり、わたしたちに話したのさ――それも、相当に臆測おくそく を入れてね!
  けれど、将来、あの女の証拠が役に立つことになるかもしれない。わたしが、あの五ポンドを投資したのは、その将来のためなんだよ」
  わたしは、その要点がよくわからなかった。しかし、ちょうどその時、わたしたちは、グレン警部に出会った。
 
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