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三十三 アレグザンダー·ボナパート·カスト

时间: 2024-04-23    进入日语论坛
核心提示:  三十三 アレグザンダーボナパートカスト  ポワロと、あの不思議な人物――アレグザンダーボナパートカストとの会見の時、
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  三十三 アレグザンダー·ボナパート·カスト
  ポワロと、あの不思議な人物――アレグザンダー·ボナパート·カストとの会見の時、わたしは、立ち会わなかった。かれと警察との関係や、事件の特殊な状況のせいから、ポワロは、なんの苦もなく、内務省の許可を手に入れた――しかし、その許可は、わたしにまでは及ばなかったのと、その上に、いずれにしても、その会見はごく内輪うちわ に――二人の人間が顔と顔とをつき合わしてするのが絶対に必要だというのが、ポワロの意見だったからだ。
  しかし、二人の間でかわされた話を、かれは、くわしく、わたしに話してくれたので、実際に、わたしがその場に居合わせたかのように、十分の自信をもって、わたしは書きつけることができる。
  カスト氏は、ひどくちぢんでしまったような気がした。かれの猫背ねこぜ は、一目見てわかるほどになっていた。その指は、なんということなしに、上衣うわぎ を引きむしっていた。
  しばらくの間、ポワロは、口をきり出せなかったのだと、わたしは思う。
  かれは、椅子いす に腰をおろして、前にすわっている男に、目をあてていた。
  その場の雰囲気ふんいき は、静かで――人の心を静めるようで――無限の安らぎに満ちていた……きっと、劇的な瞬間であったにちがいない――この長い劇的な事件の中での、二人の敵対する相手の会見は。ポワロの立場だったら、わたしは、劇的な戦慄せんりつ を感じたことだろう。
  しかし、ポワロは、事務的そのものだった。かれは、相手の男にある効果を与えようとして、そのことで頭がいっぱいだった。
  とうとう、かれは、おだやかにいった。
  「わたしが誰だかわかりますか?」
  相手は、首を振った。
  「いいえ――いいえ――わかるとはいえません。あなたがルーカスさんの――なんといいましたっけ?――若い方ほう の方かた でないとすると。でないとすると、メーナードさんのところからおいでになったのですね?」(メーナード·アンド·コールとは、弁護士事務所の名前だ)かれの口振りはていねいだったが、たいして関心はなさそうだった。かれは、なにか内心の考えごとに気をとられているようだった。
  「わたしは、エルキュール·ポワロです……」ポワロは、その言葉を、ごく静かにいって……その結果を、じっと見守った。
  カストは、ちょっと頭をあげて、
  「ああ、そうですか?」
  かれは、その言葉を、クローム警部でもいいそうに、ごく自然にいった――が、べつに尊大振ったところはなかった。
  それから、一分ほどして、かれは、もう一度、繰り返して、「ああ、そうですか?」といったが、こんどは、調子が変わって――興味を感じてきたようだった。かれは、顔をあげて、ポワロに目を向けた。
  エルキュール·ポワロは、その注視をあびて、一、二度、やさしく、うなずいて見せた。
  「そうです」と、かれはいった。「わたしが、あなたから手紙をいただいた当人ですよ」たちまち、二人の交渉に、急激な変化が起こった。カスト氏は、目を落として、いらいらと、気むずかしそうに、いった。
  「わたしは、一度も、あなたに手紙など書いたことはありません。あの手紙は、わたしが書いたものではありません。わたしは、何度も何度も、そのことはいったはずです」「知っています」と、ポワロはいった。「しかし、あなたが書いたのでないとすると、誰が書いたのでしょう?」「敵です。わたしには、敵がいるにちがいないのです。みんな、わたしに敵意を持っているのです。警察は――誰もかれも――わたしに敵意を抱いているのです。大がかりな共謀です」ポワロは、返事をしなかった。
  カスト氏は、いった。
  「誰もかれも、わたしに敵意を持っていたのです――いつでも」「あなたが子供の時でもですか?」カスト氏は、じっと考えているようだった。
  「いいえ――いいえ――確かにそのころはちがいました。母は、たいへん、わたしを愛してくれました。しかし、母は、野心家でした――おそろしく野心家でした。だから、こんなばかばかしい名前を、わたしにつけたのです。母は、わたしが世間に名をあらわすというとほうもない考えを持っていました。しょっちゅう、口やかましくいっていたものでした、もっと、出しゃばるようにしろだの――意志の力が大切だのといったり……誰でも自分の運命の支配者になれるのだといったり……しようと思えば、どんなことでも、わたしにはできるのだと、いったものです!」かれは、しばらく、黙っていた。
  「母は、まったく誤っていたのです、もちろん。わたしには、すぐに、そのことがわかりました。わたしは、この世で成功するような人間じゃないのです。わたしは、いつもばかなことばかり――自分をばかに見せるようなことばかりしてきたのです。それに、わたしは、臆病おくびょう で――人がこわいのです。学校でもひどい目に会いました――クラスの連中は、わたしのクリスチャン·ネームの意味がわかると――それで、わたしをからかったり、いじめたりしたものでした……学校ではまったくひどいものでした――ゲームでも、勉強でも、なんでも」かれは、首を振って、
  「気の毒な母は、死んでよかったのです。すっかり失望してしまっていました……商業学校にいる時でさえ、わたしは、ばかでした――タイプや速記を習うのにも、ほかの誰よりも、ずっと長く時間がかかりました。それでいて、自分がばかだとは感じなかったのです――わたしのいうことがおわかりかどうかわかりませんが」かれは、急に、訴えるような目を、相手に向けた。
  「あなたの気持ちはよくわかりますよ」と、ポワロはいった。「つづけてください」「ほかの誰もかれもが、わたしをばかだと思うというのは、ただそう感じるんです。ひどく気力がなくなっちまうんです。後で、会社に勤め出してからも同じでした」「それから、もっと後になって――戦争の時は?」と、ポワロが促した。
  カスト氏の顔が、急に明かるくなった。
  「おわかりでしょう」と、かれはいった。「戦争は愉快でした。まず感じたことは、それでした。わたしは、はじめて、ほかの人間と変わらない人間だと感じました。みんな、同じ立場でした。わたしも、ほかの人間と同じように役に立つことができたのです」かれの微笑が消えた。
  「それから、頭に傷を受けました。ごく軽いものでした。しかし、わたしが発作を起こすことがわかりまして……むろん、それまでにも、自分がなにをしたのか、ちっともわからなかったことが何度かあったということは、わたしも知っていました。失神ですね。むろん、一、二度、倒れたこともあります。しかし、そのために、除隊にすべきものとは、まったく思いもよりません。そうです、除隊にしたのは間違いだったと、わたしは思います」「それから、その後では?」と、ポワロはたずねた。
  「わたしは、事務員の職を見つけました。もちろん、当時は、いいお金になりました。それに、戦争後も、そんなに悪くはなかったのです。もちろん、わずかなサラリーでしたが……それから――どうもうまくいかないような気がしてきたのです。いつも昇給は飛ばされてしまうのでした。思うように、うまくいかないんです。それで、だんだん苦しくなってきました――ほんとに、ひどく苦しくなって……ことに、不景気になってきた時はね。ほんとうのことを申しあげると、暮らしを立てるのがやっとで、(それに、事務員というのは、見苦しくないようにしていなければなりませんから)、そういう時に、この靴下の仕事の話があったのです。サラリーと、歩合というわけです!」ポワロは、おだやかにいった。
  「しかし、あなたが雇われているという会社が、そのことを否認しているのは、ご存じでしょうね?」カスト氏は、また興奮した。
  「それは、みんなが共謀しているからです――きっと共謀しているにちがいありません」かれは、いいつづけた。
  「わたしは、書いた証拠を持っています――ちゃんと書いた証拠です。わたしには、どこそこへ行けという指示を書いた会社の手配も、訪ねて行く人たちのリストもあります」「正確にいうと、書いた証拠ではなくて――タイプで打った証拠でしょう」「同じことです。大規模に製造している大きな会社では、文書をタイプで打つのは当然です」「しかし、カストさん、タイプライターにも見わけがつけられるということを、ご存じじゃありませんか? あの手紙はみんな、ある一つの特定の機械で打ったものですよ」「それがどうしたのです?」「そして、その機械は、あなたのもの――あなたの部屋から発見されたものですよ」「あれは、わたしの仕事のはじめに、会社から送ってくれたものです」「そうです。ところが、あれらの手紙は、その後で受けとったものでしょう。ですから、あなたが自分で打って、自分あてに郵送したように見えるじゃありませんか?」「いや、ちがいます! それもみんな、わたしに対する陰謀です!」かれは、突然、つけ加えていった。
  「そればっかりじゃなく、同じ種類の機械で、その手紙が打てるじゃありませんか」「同じ種類ですが、同じ実際の機械じゃないのです」カスト氏は、しつこく繰り返した。
  「陰謀です!」
  「それでは、あなたの戸棚から発見されたABCは?」「わたしは、なんにも知りません。わたしは、みんな靴下だと思っていたんです」「では、なぜあなたは、あの最初のアンドーバーの人たちのリストの中で、アッシャー夫人の名前にしるしをつけたのです?」「あの人からはじめようと思ったからなんです。どこかから、はじめなくちゃならないんですから」「そう、そのとおりですね。どこかから、はじめなくちゃならないんですから」「わたしは、そんなつもりでいったのじゃありません!」と、カスト氏はいった。「あなたのいうような意味で、いったのじゃありません!」「でも、わたしのいった意味はわかっているんでしょう?」カスト氏は、なんにもいわなかった。かれは、ぶるぶるふるえていた。
  「わたしがしたのじゃありません!」と、かれはいった。「わたしは、まったく無実です。
  みんな間違いです。そうでしょう、二番目の犯罪を考えてみてください――あのベクスヒルの事件を。わたしは、イーストボーンでドミノをしていました。あなたも、それはお認めにならずにいられないでしょう!」かれの声は、勝ち誇ったような調子になった。
  「そうです」と、ポワロはいった。かれの声は、じっと考えふけっているようで――ものやわらかだった。「しかし、一日、日を間違えるというのは、ごくやさしいことでしょう?
  そして、あなたがストレンジさんのような、強情な、きっぱりした人なら、間違えるかもしれないなどというようなことは、けっして考えたりしないでしょう。自分でいったことに、いつまでも固執こしゅう するでしょう……あの人は、そういう種類の人です。それに、ホテルの宿帳ね――あなたが署名をした時に、間違った日付を書くことは、ごくやさしいことでしょう――おそらく、その時には、誰も気がつかなかったでしょう」「あの晩、わたしは、ドミノをやっていたんです!」「あなたは、ドミノがひどくお上手だそうですね」カスト氏は、そういわれて、ちょっとうろたえた。
  「わたしは――わたしは――まあ、そうでしょうね」「あれは、非常に熟練を要する、まったく夢中になるゲームですね?」「ああ、あれには、やり方がうんとあるんです――さまざまのやり方が! 町にいたころ、昼休みによくやったものです。まるっきり見ず知らずの人間が、ドミノのゲームで知り合いになるのには、きっとびっくりなさるでしょうね」かれは、くすくすと笑った。
  「わたしは、一人の男のことをおぼえていますが――その人が話してくれたことのために、わたしは、どんなことがあったって忘れないだろうと思うんですが――ちょうど、コーヒーを飲みながら話していたんですが、そのうちに、ドミノをはじめたんです。そうです。それから二十分もすると、わたしは、その男のことなら一生のことを、ようく知っているような気になりました」「その人があなたにいったことというのは、どんなことだったのです?」と、ポワロはたずねた。
  カスト氏の顔が曇った。
  「その話が、わたしの運命を変えてしまったのです――いやな変え方です。その人の運命が手に出ていると、その男はいうのです。そして、自分の手を出して、二度、溺おぼ れるのを助かる運命が出ているといって、その筋を見せて――実際に、二度助かったのだというんです。それから、わたしの手を見て、びっくりするようなことをいったのです。死ぬ前に、わたしがイギリスで、もっとも有名な人間になるというんです。国じゅうで、わたしのことを噂うわさ するようになるというんです。しかし、かれのいうのには――かれのいうのには……」カスト氏は、泣きくずれて――ふるえていた……「それで?」ポワロの視線は、おだやかな力を持っていた。カスト氏は、かれに目を向けたと思うと、その目をそらし、それからまた魅入みい られた兎うさぎ のように、元へもどした。
  「その人はいうんです――ええ、いうんです――わたしがひどい死に方をしそうに見えるって――それから、大声に笑って、『どうも、断頭台で死にそうに見える』といってから、また大笑いをして、いうんです、ほんの冗談だって……」かれは、不意に黙ってしまった。かれの目は、ポワロの顔を離れて――左右に、その目を走らせた……「頭が――頭が、とても痛いんです……時々、なんだかひどく頭痛がするんです。それから、時々、わからなくなる時があるんです――わからなくなる時が……」かれは、くずおれてしまった。
  ポワロは、ぐっと身を乗り出した。かれは、非常におだやかではあったが、確信をもった口のききようで、「しかし、あなたは知っているんでしょう」と、かれはいった。「人殺しをしたことは?」カスト氏は、目をあげた。かれの視線は、まったく無邪気で、率直だった。すべての抵抗が、かれからなくなっていた。不思議なほど平和な顔つきだった。
  「そうです」と、かれはいった。「知っています」「でも――そうじゃありませんか?――なぜ、そんなことをしたか、あなたにはわからないのでしょう?」カスト氏は、首を振って、
  「そうです」といった。「わからないのです」
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