この間、私たちはトービーの後について、都心部へと続く郊外住宅がちらほらするひなびた道路を進んでいたのであった。しかし、いまや私たちはとぎれのない街路にさしかかっていた。すでに労務者や沖仲仕おきなかし達は起き出しており、だらしのない女達がよろい戸をあけたり、戸口を掃除したりしていた。四角い屋根をした角の居酒屋では、商売が始まったばかりで、いかつい顔の男達が、起きぬけに一杯ひっかけた後、袖口でひげを拭いながら出てくるところだった。見なれない犬どもがやってきて、通り過ぎる私たちの姿を、不思議そうな表情で眺めていた。しかし、われらの超然たるトービー君は、わき目もふらずに地面に鼻をつけ、時々、強い臭いがあるという証拠に鼻をくんくん鳴らしながら、ひたすら歩き続けるのだった。
私たちはストレタム、ブリクストン、キャンバウエルを横切り、オーバル競技場の東側にあるわき道を抜けて、ケニントン小路へ出た。追跡中の犯人は、おそらく人目につくのを警戒して、奇妙なジグザグの進路をとったものらしかった。幹線道路と並行して、わき道があれば、彼らはそちらを選んでいた。ケニントン小路の端で、彼らは左にそれ、ボンド街とマイルズ街へ進んでいた。通りを曲がってナイト広場にいきつくあたりで、トービーは前進を止め、一方の耳を立て、他方をたらしながら、方向を決しかねるといった様子で、行きつ戻りつし始めた。そして、同じ場所をぐるぐるまわりながら、気持を察してほしいとでもいいたげに、私たちを見上げたりした。
「一体、どうしたというのだろう?」ホームズはぶつぶつつぶやいた。「まさか、ここから馬車をつかまえたり、気球に乗っていったわけではあるまい」
「しばらくここで佇たたずんでいたんだろう」と、私はいった。
「ああ、大丈夫だ。また歩き出したよ」彼はほっとしていった。ホームズのいうとおりだった。犬は再びあたりを嗅ぎまわった後、突然、意を決したかのように、これまでにないほどの勢いと確固たる足どりで、突進したのだった。嗅跡は前よりも強くなったようだった。犬はもはや鼻を地面につけることもなく、綱をぴんと引っぱって駆け出そうとした。ホームズの目の輝きからして、目的地も近いと考えているのが、察せられた。
私たちはナイン・エルムズを通り、ついに白鷲亭ホワイト・イーグルのすぐ先にある、ブロデリック・アンド・ネルソン会社の大きな材木置場に到着した。ここで、犬は興奮のあまり狂ったようになって、脇門から囲いの中に入り込んだ。すでに木挽こびき達は仕事を始めているところだった。犬はおがくずとかんなくずの中を走り、路地を抜け、通路を曲がり、積み上げた木材の間をぬって、ついに勝ち誇った鳴き声をあげると、運んできて手押車に乗せたままになっている、大きな樽にとび乗った。舌をだらりとたらし、目をしばたたかせながら、トービーは樽の上に立ち、感謝のしるしでも求めるように、私たち二人を見くらべた。樽の板と手押車の車輪には、黒い液体がこびりついており、あたりにはクレオソートの臭いがたちこめていた。
ホームズと私はあっけにとられて、互いに顔を見あわせたが、やがて二人共こらえきれなくなって、笑いころげてしまった。