貘《ばく》さんとは、山之口貘《やまのぐちばく》のことである。この沖縄出身の詩人には格別な親近感があり、ついついそう呼んでしまう。
今、必要があって、さらに貘さんのことを調べている。
貘さんは、あの、土の上には床がある/床の上には畳がある/畳の上にあるのが座蒲団《ざぶとん》でその上にあるのが楽という/楽の上にはなんにもないのであろうか/どうぞおしきなさいとすすめられて/楽に坐《すわ》ったさびしさよ、という「座蒲団」の詩が有名で、ほとんどの生涯を貧乏で暮らし、苦しい生活をうたった詩人という印象が一般的だ。
よく知ると、そんな単純なものでは決してない。
わたしは彼の中学時代がとても面白い。ひどく早熟だったようだ。
小学六年で、四年の少女(少女といえるのかしら)に恋をし、思いつめたあまり、中学の試験に落ちてしまうという輝かしい経歴(?)の持ち主なのだ。
もっとも、そこだけが早熟だったわけではなく、その思想も、早くからすごいものを持っていた。
中学生といえば、十三、四歳だ。もう、その頃、反権力、民衆の視点で真の自由を追究した大杉栄の影響を受けていた。当然、学校当局からにらまれる。
詩を投稿して、その詩の中でかぶれた思想だという教師に反抗している。
方言札(ウチナーグチを使うと、渡された罰札)に抵抗し、それを便所に捨てたりして、皇民化教育に反対したそうだから、早くから逸材の資質を持っていたのだろう。
岡部|伊都子《いつこ》さんから送っていただいた山之口貘の世界『僕は文明をかなしんだ』(高良勉著 彌生書房刊)に貴重な指摘があった。
——貘は浮浪生活も貧乏もユーモアを込めて対象化し表現していますが、それをしばしば自殺したいというほどの絶望感をのりこえて詩に昇華させていきました。
その根拠として高良勉《たからべん》さんは、山之口貘の娘泉さんの言葉を引いている。
——山之口貘は本当に人間を愛した詩人だったと、みんな云います。そうでしょうか、私にはわかりません。私はもっと他の言葉をさがそうとしています。山之口貘は人間に絶望し、その絶望を自分のみっともない体の一部のようにたずさえて生きていた詩人である。
そういえば、貘さんの詩に、こんな詩があった。
ねずみ/生死の生をほっぽり出して/ねずみが一匹浮彫みたいに/往来のまんなかにもりあがっていた/まもなくねずみはひらたくなった/いろんな/車輪が/すべって来ては/あいろんみたいにねずみをのした/ねずみはだんだんひらたくなった/ひらたくなるにしたがって/ねずみは/ねずみ一匹の/ねずみでもなければ一匹でもなくなって/その死の影すら消え果てた/ある日往来に出て見ると/ひらたい物が一枚/陽《ひ》にたたかれて反っていた。
わたしは絶望をくぐらないところに、本当の優しさはない、といった老哲学者の言葉を思い出した。