次の話は、ノイローゼになり病院を訪れた速水という人の家族について若い精神分析医が書いたものです。話を良く読んで、質問に答えなさい。
先日実に複雑な問題を抱えた患者がやって来た。彼の名は速水健次郎(はやみけんじろう)、45才、三友(みつとも)商事の渉外部部長だ。東京大学卒業後、三友商事に入社、その4年後、大塚優子(おおつかゆうこ)と結婚、現在17才の長男、弘樹(ひろき)と14才の長女、さやかがいる。1981年三友商事ニューヨーク支店に出張を命じられ、家族と共に6年間ニューヨークに滞在。3年前に帰国したが、去年福岡に転勤を命じられ、単身赴任。仕事と家庭の問題で強度のノイローゼにかかる。
6年間のニューヨーク生活は家族の全員にとって素晴らしい思い出ばかりだった。速水氏は週末家族と憩う時間が十分持てたし、趣味のゴルフも広いゴルフコースで思う存分できた。奥さんも、テニスをしたり、英語を習ったり、御主人と一緒にコンサートやミュージカル等へいったりして充実した生活を送った。弘樹君とさやかさんは、宿題があまりない学校生活をエンジョイし、夕方遅くまで友達と様々なスポーツをしたりした。ところが、3年前に帰国し、東京に住みはじめると、カルチャー・ショックが家族の全員を待っていた。
速水氏は、ニューヨークへ行く前と同じ渉外部へ戻ったのだが、部内の雰囲気が以前とは全く異なっていることに気づいた。以前は仕事の後気軽に一緒に飲みにでかけた同僚が何かと理由をつけて断る、新しい企画を思いつき部内で検討しても皆あまり協力してくれない、ある部下が部長である自分に相談せずに直接社長に話をしに行くなど、今までなかったようなことが頻繁に起きる。同僚や部下が妙によそよそしく、自分を何かアウトサイダーのように見ているような気がする。6年も日本を離れると、もう以前属した集団には戻れないのだろうか、という疑問が湧いてくる。以前のようにスムーズに部内の人々とコミュニケーションができないことが速水氏の大きな悩みの種になった。その上、最近奥さんの様子が何か異常なのが気にかかる。取引先の人の接待が終わり家へ帰るのが遅くなることが度々ある。深夜1時、2時に家へ帰った時、奥さんが寝ないで待っていてくれるのはありがたいのだが、話をしても支離滅裂で何を言いたいのか理解できないことがよくある。酔っ払いと話をしているようでとても変だ。又、日曜日にたまたま接待の仕事から解放されゆっくりくつろいで奥さんと話をしていても、時々ヒステリー状態になり突然泣き出したり、大声でわめいたりする。何か問題があるようだが、奥さんはどうしてか言おうとしないし、速水氏も仕事で忙しくゆっくり奥さんと話をする時間的余裕もないので、その、問題は未解決のままになっている。
妻の優子さんも、夫との関係、家庭内での自分の存在の問題で悩みを持っている。ニューヨークにいた時は、あんなに「家族思い」だった速水氏が帰国したとたん、全く普通の日本人サラリーマン同様、週日は「午前様」、週末は接待ゴルフ、で家族と共に過ごす時が皆無と言っていいような状態である。「会社人間」の速水氏の生活のリズムに自分をどうしても合わせることができない。また、弘樹君もさやかさんも大きく成長し、自分の世界を持ち始め、自分を敬遠するようになってきた。速水氏が子供の教育に関してすべてを優子さんにまかせているので、優子さんがしっかり勉強するように注意すると、反抗期に入っている二人は彼女を批判的な目で見つめる。隣近所の奥さん方にしても然り、アメリカにいた時教会の婦人会やコミュニティの集まりなどに参加した優子さんは、帰国後も積極的に町内会や近所の婦人会に出席した。ほとんどの奥さん方は黙って話を聞くだけで、あまり自分から発言しないので、仕方なく優子さんが自分のアイディアを披露する。彼女達は口では賛成するが、では実際に行動に移ろうという段階になると全然協力してくれず、優子さんは孤立してしまう。夫からも子供からも隣近所の奥さん方からも突き放されたような感じを持った優子さんは知らず知らずのうちに「キッチン・ドリンカー」になってしまっている。
弘樹君、さやかさんは帰国後すぐ公立の学校に入った。初めのうちは、「外国帰り」ということで皆から珍しがられ、いろいろな友人ができたが、そのうち二人があまりにもほかの生徒と異なり目立ち過ぎ、「いじめ」の対象になってしまった。英語の時間流暢な英語で先生の質問に答えると、後でほかの生徒に「格好をつけている」、「生意気だ」と言われたり、クラスでほかの生徒と何かを一緒にやろうとしても全く無視されてしまったりする。また、6年間日本を離れていたため、ほかの生徒より学力がずっと低く、追いつくのに必死である。二人共週3回放課後塾に通っているが、いつも勉強、勉強で息がつまりそうである。特に弘樹君の場合、来年大学入試があるという大きなプレッシャーがあるため、最近は精神的に不安定で、時々学校を休み、優子さんは「登校拒否」のはじまりではないか、と心配している。
速水氏の一家に決定的な打撃を与えたのは、会社の「転勤命令」であった。最初社長から「転勤」の話があった時、速水氏は、転勤すればやっと部内の気まずい雰囲気から逃れられ、新しい土地で心機一転仕事に打ち込めると喜んだ。ところが、家族と協議しているうちに、「転勤」は新しい気持で働けるどころか、家庭の崩壊の危機に直面していることが徐々に判明してきた。当然家族全員で福岡にいける、と思っていたが、それは大きな誤りであった。先ず、弘樹君とさやかさんが、自分達は東京に残る、と言い出した。東京を離れると入試に不利だ、新しい土地へ行くとまた新しい友達を作らなければならず、新手の「いじめ」が待っているかもしれない、だから九州に行きたくないと言う。
奥さんの場合はもっと深刻だ。ある日曜日、ニューヨークから帰って来て以来初めて二人だけでゆっくり話をする時間が持てた。その時優子さんが言いにくそうに、「あなたにとって家庭とは一体何なんですか?」と質問したことを皮切りに、堰を切ったように、「私は子育て・炊事・洗濯・掃除と家事一切をやってきましたが、あなたにとって私は何なんですか?私は家政婦ですか?あなたは私のために一体何をして下さったんですか?」、「あなたは父親として子供達のために何をしてやったんですか?」、「弘樹とさやかがいじめの問題で苦しんでいる時にあなたは一体何をしてやりましたか?」、「うちのように父親と子供の対話が全くない家庭で子供がどのようにして健全に育つんですか?」などと今までの不満を一度にぶつけてきた。話の最後に優子さんに、「今まで19年間あなたと生活を共にしてきましたが、私はもう疲れました。あなたは会社と結婚なさったんですね。私と別れて下さい」と言われ、妻がそんな不満を持っていようとは夢にも思わなかった速水氏はただ狼狽するのみであった。後日家族会議を何回も開き、結局二つの結論に達した。それは、1.速水氏が福岡へ単身赴任する、2.離婚については子供への影響を考慮し、当分先へ延ばし夫婦関係が良くなるよう双方が努力する、ということであった。
以上のような経過を経て、速水氏は単身福岡へ赴いた。「単身赴任」の中年男性の悲哀がよく雑誌や新聞で取り上げられるが、速水氏の場合も例外ではなかった。学生時代に少し自炊生活をしたことがあったが、結婚してからは奥さんの病気の時以外は一切料理をしたことがなかった。しかも、洗濯、掃除はすべて奥さんまかせだったので、当初は洗濯ものの山を見ては溜息をつき、流しにたまった皿を見ては自分の運命を嘆いた。自分の身の回りの世話も満足にできないのに、福岡の新しい職場で全く見知らぬ同僚、部下と親しい関係を作り上げていくのは口下手で社交的でない速水氏にとって苦痛以外の何物でもなかった。一月に一度飛行機で帰京し、家族と団らんするのが唯一の楽しみとなったが、それも彼が想像していたように楽しいものにはならなかった。今まで妻と二人だけでじっくり話をするということをしたことがないので、話をしてもなかなか会話が滑らかに進まない、奥さんが速水氏が不在の間の出来事を報告するが、だんだん愚痴っぽくなりそれを聞いていると苦労しているのがさも奥さんだけかのように聞こえてきて思わず大声で自分の不満をぶちまけてしまう、長く離れているせいか子供たちが妙に遠慮して親子の会話が不自然になる、といった具合で自分の家へ帰っても全然心の休まる時がない。これが職場でも家庭でも安らぎが求められない速水氏の一家全員と個別に面接して得た情報の概略である。速水氏の場合は、さまざまな問題が複雑に重なり合っている上、個々の問題がいずれも至極重要である為、どの問題から手をつけ、いかにして解決していくかを決定することは極めて困難である。精神分析医として最善の策を講じたいと思っている。
☆ 次の問いに答えなさい。
1.a.ニューヨーク滞在中と帰国後の生活の違い、b.その生活から生じた問題点について簡単に述べなさい。
速水氏の場合
優子さんの場合
弘樹君、さやかさんの場合
2.会社の転勤命令は速水氏一家にどういう影響を与えましたか。
3.福岡への単身赴任後の速水氏の生活について簡単に説明しなさい。